とつげき東北

 技術的差異が小さければ小さいほど、技術の差よりも、その他の差の方が結果に影響しがちになるということはあろう。しかし正規分布では、「トップ層」に近ければ近いほど分布密度が低下し、前後の相手との差異が大きくなる。学校のマラソンで自分が走る場合なら「最後の頑張り」のやる気のみによって数名の選手を抜くこともできようが、世界レベルのマラソンではそうはいくまい。精神的に鍛えただけで相手に勝つ可能性が増えるような勝負なら、はなからトップレベルの技術がぶつかりあう勝負ではないのだ。

 上位であればあるほど技術的鍛錬がますます重要であるとすれば、その差異の顕在化こそが感動を生まねばならない。にもかかわらず、ことスポーツにおいて、精神論的で単調な感動ばかりが好まれる風潮は残念でならない。
 単に精神的な強さに触れて感動することが目的ならば、テレビでしばしば報道される見知らぬ誰かの闘病生活でも見て喜んでおけば良いのである。

  • スポーツ選手の力量が正規分布であるという前提の根拠が提示していただけますか。 -- yu 2006-12-11 (月) 21:18:24
  • >yu  ミクロとしての「技術的差異が小さい状態」に対する、マクロとしての「正規分布」という論じ方なので、根拠は必要ないのでは?例に出すのは学力だろうが棋力だろうが何でもいいだろうし。 -- ret 2006-12-19 (火) 11:29:18
  • 正規分布じゃなくてもいいが、右側に行けばいくほど密度が濃くなる分布になってるとは思いがたいのだが。 -- とつげき東北 2006-12-19 (火) 22:55:12
  • メジャーリーグにおいてなぜ4割打者は絶滅したのか。近代野球の基本的ルールはおよそ100年前に確立され、それから現在 -- 2006-12-25 (月) 04:50:10
  • 根性0のガリヲタには理解できないだろうな -- あ 2006-12-28 (木) 04:09:42
  • 原田 2007-07-24 (火) 15:44:22
    マラソンとは古代ギリシャにおいてペルシャ軍に侵攻されたアテナイ軍の兵士がその戦争の勝利をマラトンの丘からアテネへ伝えに走って力尽きたという伝説が語源である。その距離が実に47.195kmだったという。しかし現在行われている全マラソン大会はみな何を伝えるために走っているのだろうか。差し詰め自分が走ったことを自分に伝えているといった所であろう。テメェで走ってテメェで報告していれば世話はないのだ。学校はマラソン大会よりも文化祭や合唱祭に力を入れるべきである。
     
  • 2008-02-15 (金) 01:15:28
    そうはいくまいって完全に根拠のない推論だよな。

 


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:12 (3007d)