とつげき東北

 多少なりとも「知」と関係した人生を送りたいと望むのならば、「えらそう」という言葉を耳にして、次のような考察をしないわけにはいかない。

 着目すべきは、「えらそう」「得意げ」「自慢げ」等の、能力・地位の高さ等を発言や行為によって暗示(または明示)した者に対する「集団的嫌悪=差別」を行うことを目的として発せられる語がはらむ、ある種の特異性についてである。

 ここで、さも自分を「えらそう」に見せる人と、さも自分を善人のように見せる人に対する、大衆の反応を比較しよう。
 善人のように見せかける人に向けて宛てられる「善人ぶって」「偽善だ」といった語は、一見したところ、えらさをアピールする人に対してぶつけられる「えらそう」という言葉と、その形式が類似しているかに見える。しかし、それらの間には、その構造において明確な差がある。

 ある人が、実際に「善人」であると認めている他人に対して、「善人ぶった人」「偽善的な人」という評価を下すことはあり得ない。つまり、「善人ぶった」人と、「善人」である人とは、その概念において明白に排反・排他的であり、必ず別人でなければならない。一方で、実際に「えらい」と認めざるを得ない人に対しても、「えらそう」という批判はあり得る。すなわち、「えらそうな」発言をする人と、「えらい」人とは、しばしば一致するのである。例えば政治家や官僚や医者が「えらそうな」発言をすると、大衆は猛反発するであろう。そうした職業につく人々が、どう考えても「えらい」と見なされる人々であることは知っているだろうに。

 なぜこのような根本的差異が生じるのだろうか。
 彼らの精神は、いくら一般に「えらい」とされる人であっても、得意げになったり自慢したりするといった、彼らが能力的な要因等によって普段得ることの不可能な快楽を楽しんでいるような人を、「えらい」とは認めないのである。そうした行為をした瞬間、当該人物は彼らの精神の中において、「えらくない」人になる。彼らはしきりに「大したことがない」「井の中の蛙」「本当にできる人は自慢しない」「能ある鷹は爪を隠す」といったような「名言的理想世界」に頼り、「実際に、その相手はえらくないのだ」と彼らが誤認できるためのあらゆる心理学的「逃げ」をうつのだ。そのようにして、現実と彼らの理想との間に齟齬が生じる。
 このように、道徳的世界の外部と内部とをまたがる事項の場合には、現状をなんとか道徳の内側に収めるためのあらゆる名言が生み出さなければならないのに比較して、「善人」と「偽善者」との差異の場合は、彼らの道徳的世界観の中では既にあらかじめ決定済みの事項であるため、無理に「現実世界」をゆがめるための名言を生み出す必要はない。「善人」という概念自体が、道徳的に最初から定義されるある種の理想にしか過ぎず、ゆえに定義を適宜変更すれば済むため、「現実」を曲げてまで「善人」を「偽善者」に貶める必要がないからである。

 以上から、「えらい人」と「えらそうな人」は、本来どうしてもしばしば重ならざるを得ず、それら双方ともを「えらくない」と見なすための種々のあがきが発明されるのに比べて、「善人」と「偽善者」との分別は彼らにはお手のものなのである。

  • 2008-01-24 (木) 13:57:14
    えらそうで検索したら200万のトップかどんだけページランクたけぇんだよって話
    4は行ってそうだな
     
  • '''' 2008-03-06 (木) 12:22:28
    職業的な
    偉い
    医者・政治家・官僚
    偉くない
    ニート・フリーター

    性格的な
    偉い
    自慢しない、謙虚
    偉くない
    自慢する、高慢

    全く違う概念でありながら、「偉い」という同じ言葉を使っている。
    歴史的な経緯で、偶然同じ言葉になったのでなければ一種の比喩である。
    音が高い、低い
    背が高い、低い
    これは「高い」という同じ単語を使っているが、全く違う概念である。
    たとえば、声が高い人がいたとする。
    その人のことを、「高い」人と言う事にしよう。
    そして、背が高い人も「高い」人と言う事になれば
    「高い、かつ低い」人も、「低い、かつ高い」人も存在することになる。

    いくら一般に「えらい」とされる人であっても(略)
    精神の中において「えらくない」人になる。
    これは、前の「偉い」と後ろの「偉い」が全く違う概念であるためそう思ったのであろう。音の「高い」と背の「高い」が同じであるために混乱するようなものだ。「偉く、しかも全然偉くないひと」がいたとしても、なんら問題は無いのだ。前の偉いと後ろの偉いは概念が違うのだから。
    そもそも「偉い」という単語が、職業や地位などと、謙虚であるという意味と
    概念の違う二つのものに全く同じ単語が使われていることに、大衆性が感じられる。
     

  • はいはい 2008-07-26 (土) 04:00:35
    おいとつげき。予想通り飽きてんじゃねぇよ。散々偉そうにしてた分際で。

 

  • はいはい 2008-09-18 (木) 03:48:55
    ごめん。こんとき負けてたんだね。外的に。
     
  • 2008-09-27 (土) 20:00:35
    お前の二連コメントなど聞きたくは無い。内的に。
     
  • とつげき東北 2009-10-29 (木) 00:39:46
    「ここまで」は読んでないと思われるが、おれはこの項目がかなり気に入ってる。
     
  • ここまで読んだよ 2009-10-29 (木) 03:44:51
    掲題は「しんどい」という意味でも使われるそうだ

    なんか搾り出してでも書かなきゃいかん衝動に駆られて、薄い記憶をたどってみた
    たしか方言だったと思うが
     

  • 六7 2009-10-29 (木) 04:08:19
    名古屋弁だな
     
  • ここまで読んだよ 2009-10-29 (木) 13:23:49
    なるほど、どもども>>67
     
  • zabi 2010-03-04 (木) 11:02:27
    「偉そう」と「偽善だ」に明確な差は・・・少なくとも一致の観点から見て、無い。

    「偽善」の評価と「善人」の一致することは・・・ある。
    例えば、被災地に対し、
    ・千羽鶴を贈る
    ・10円募金する
    ・100万円寄付する
    程度の差はあれ、どれも等しく善行と言えそうだが(カネ送りゃ善行か、とか鶴もらってどうすんだ、などはここでは考えないことにする)一番下を除いた二つは恐らく「偽善」の評価も受ける可能性があるだろう。
    つまりこの場合、「善行」と「偽善の評価」は一致する。

    一致する確率や統計の差異は調べてないが、恐らく「偉そう」と「偽善」は同程度、一致するのでは。
    ただ片方はこのトピックにおいて「職業」として示してみせただけなのでは。
     

  • とつげき東北 2010-03-04 (木) 21:49:54
    偽善と善人が一致することは、特定の個人内では通常あり得ません。
    複数の人々の価値観の違いではあり得ますが。

    それに対して、「えらそう」と「えらい」が一致することはあり得ます。

    その違いです。
     


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:09 (2858d)