とつげき東北

 相手を説得できない理由は、完全に相手の瑕疵による場合もあるし、自分のそれにある場合もある。ある種の「正しい」ルールや共通認識が想定できるとした上であろうとそれは変わりない。

 無限の蒙昧さを持つ人間の存在を仮定すると、彼(彼女)には思想どころか言語も足し算も通用しまい。それだから、「―」という言葉が真になることは、理屈上ある。また実際上も確かに、思想の共有など到底不可能だと思われる人間が実在し、しかもそれが相手の思想等の不備・勉強量の不足・理解力の不充実・凡庸さへの意志・未発達の知性・欲望に対する耐性の欠如等にのみ依存するとしか思えない場合もないではない。

 だが、往々にして名言は、「当たり前に成立する」こと、「理屈上成立することもある」こと、「成立しないとは言い切れない」ことを話者自身が区別できないまま、実際にはその場において成立するはずのないことを主張するために悪用されがちなものである。
 例えば筆者も、両親が入信している新興宗教に対して理解を示さないことについて、両親から「あんたには何を言っても無駄やわ」と批判されたことが数回ある。筆者は、当該宗教の各論について語ることが可能なよう、(当該宗教団体が発行していたパンフレット等を含む)種々の資料を準備していたが、両親においてはそれらの知識が全くなかったため、議論が成立しなかった(彼らには何を言っても無駄だった)のである。
 この名言は、「わかるときがくる」という名言と併用することで、自分の信念を色々な方向から他人に押し付けることができる。

 いずれにせよここで一つ指摘できるのは、仮に掲題の語が、その場における「真理」であったとしても、その事実を相手や他の人と共有するためには、安易に「名言」を多用するのは避けたほうがよいということだ。もしも、日本語の使用という行為、ないしは「知性」なるものに対して、いくばくかの「美学」を持っているのであれば。

あなたには理解できないでしょう
わかるときがくる
信者
宗教


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:40:07 (2617d)