■とつげき東北

 各項目にコメントするのがふさわしくない質問はこちらにコメントしてください。批判や反論ではなく、純粋に質問したい場合に限ります。
 しみったれた質問でなければ、筆者のうちの誰かが答えてくれるかもしれません。

※読者、筆者への注意
 ここへのコメントには、批判や反論、侮辱等を含んではいけません。
 そのように事態が展開しそうな場合は無視するか、(批判・反論・中傷用)で行なってください。

  • (議論テク)思考に慣れていないことの露呈」の(3)が良く分からないです。露呈してみました。「人を殺したら世の中が滅茶苦茶になるから、人を殺すことが悪い」は、ここ数年の殺人事件で世の中が滅茶苦茶になったのか。という反論は思いつくのですが、解説にあるような反論が良く分からないのです。物理学的理論に、社会の実益を求める意味の無さという解釈で良いでしょうか?ずれてそうなので質問をしてみました。 -- りゅー 2006-06-22 (木) 22:54:03
  • 「人を殺すのは社会的悪である」→これは人間社会を維持する為、人間が設定した事項。「核兵器は物理学的に作れる」→これはどうあがいても事実。つまり正しい。これを混同すると、「人を殺すのは社会的悪であるので、核兵器は物理学的に作れない」あるいは、「核兵器は物理学的に作れるので、人を殺すのは社会的に善である」になる。こんな飛躍した事を言う人は通常居ないが、「核兵器は物理学的に作れるが、人間社会維持の為、人を殺すのは社会的悪」なのであって、善悪と真実か否かは別。という事では無いかと。 -- ジャケ 2006-06-23 (金) 00:03:40
  • 出しゃばりましたね。。説明としても良くない。。反省。 -- ジャケ 2006-06-23 (金) 01:12:25
  • 理論・理屈が(真偽的観点において)「正しい」ことと、当該理論・理屈に基づいてもたらされる結果が(道徳的観点において)「正しい」ことは異なるということ、さらには、道徳的観点の多くが真偽的観点を覆い隠すために機能するゆえに「正しい」という1語で表現される独立の概念が、ほぼ恣意的に混同されることについて記述したものです。「不便さ」はしばしば「道徳的悪さ」に置き換えられて語られがちですが、それにより、「不便→悪→間違っている」といったダメコンボがしばしば見受けられます。 -- とつげき東北 2006-06-23 (金) 02:10:26
  • なるほど。理解しました。正しいのに「正しい」と言ってはいけないのか?と変な混乱に陥りました。ありがとうございます。 -- りゅー 2006-06-23 (金) 14:21:33
  • mixiで見たんですが、凸さんってドランクドラゴンのデブじゃない方に似てますよね。 -- ぷりっぷりのおしり 2006-09-08 (金) 02:24:13
  • http://www.p-jinriki.com/drunkdragon/graphic/drunkdragon.jpg -- あ 2006-09-08 (金) 04:52:52
  • んんんん。実はあんまり似てないかもね。 -- ぷりっぷりのおしり 2006-09-08 (金) 13:06:21
  • まぁ雰囲気こんな感じだろwメガネで根暗ヲタっぽいイメージ通りの雰囲気 -- あ 2006-09-08 (金) 18:53:02
  • まあ日本人男性を7種類くらいに分けるなら、同じカテゴリに入る顔だとおもう。根暗は誤解だがオタクはあってるね。 -- とつげき東北 2006-09-09 (土) 03:12:33
  • 凸さんは、前髪がウネウネしてて目がエロくて頬がこけてて出っ歯で笑い方がキモい感じの人を妄想してたけど、意外とさっぱりした感じでした。あ?さんと凸さんてなんだかんだで仲良いよね。  -- ぷりっぷりのおしり 2006-09-09 (土) 03:30:28
  • 俺より最悪イメージしているなw -- あ 2006-09-09 (土) 04:14:29
  • 年5000円のスタンダードサーバーか(笑)ケチ助がっ -- あ 2006-09-09 (土) 17:06:15
  • http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/saikyou5.htmの01/02/13の雑記が攻撃的なのは、バレンタイン前の焦燥感によるものだという認識でいいですか? -- ぷりっぷりのおしり 2006-10-27 (金) 12:54:58
  • コメントを改行できるようにできませんか?コメント欄の議論見づらいです>< -- su 2006-12-24 (日) 05:01:05
  • 突然ヤケクソになって更新しまくってるのは、今日がアンアンギシギシすることを暗黙裏に義務付けられた社会への反抗を企図してのものですか? -- 2006-12-24 (日) 22:20:51
  • コメントの改行ほしいなぁ。まあ今のところ、すぐに議論用掲示板に移るという手くらいしか>su  アンアンギシギシどころか、M-1で笑い飯の敗退にまじで涙流して泣いていたよ。 -- とつげき東北 2006-12-25 (月) 00:25:57
  • きめぇwwwwこのサイトキモさも変態さもお前がナンバー1だ!馬鹿さは俺がもらうがな!w -- あ 2006-12-28 (木) 04:46:28
  • 頭の回転」にコメント欄が表示されてません。 -- 2007-01-23 (火) 21:32:01
  • '''' 2009-02-27 (金) 17:30:38
    議論記録を読ませていていただきましたが、これってこのwiki編集者同士ではどのような感想をお持ちなのでしょうか
    議論記録は「バカと議論して圧倒的勝敗が読者にも分かるくらいバカっぷりを露呈させる」ような議論を見せて読者を楽しませるものだと思うんですが、勝敗が明らかでないものもあるように思え、それらに他の編集者の否定的なコメントも無いので、なんか読みかたを間違ったかなと思ったのですが。
    議論に加わっていない編集者達は概ねその議論のwiki側編集者に圧倒的勝敗に賛成であるので否定的なコメントなど無い
    ・そうでなくともわざわざ否定的なコメントを持って関与したりしない
    ・そもそも議論記録の議論全てそういったことを目的としているわけではない
    ・単純に他の読者に比べ僕の理解力不足で面白いところがわかって無いだけなので気にしない方が良い
    のどれかと思うんですが、気になったので質問してみました。
     
  • kanedo 2009-02-27 (金) 18:28:48
    ・なんか頑張ってるみたいだけど長くて読むのがめんどくさい

    も追加しておいてくれたまえ(´・ω・)
     

  • '''' 2009-02-28 (土) 00:44:18
    掲示板のルールを気にして批判的な表現を避けようとしたらすんごい解りにくくアホったらしい文章となってしまいまして申し訳ございません。砕いて言うと
    議論記録の中には全然面白くないどころかwiki編集者側が議論をうまいことエンターテイメントに持っていけてないものが含まれている気がするのですが、他の編集者からそういったツッコミが無いのは何故なの?俺がバカなだけなの?という質問です
     
  • '''' 2009-02-28 (土) 03:22:28
    それを示しておしまいだろ馬鹿
    それくらい自分で気付け
    議論記録12到来の予感
     
  • kanedo 2009-02-28 (土) 05:27:47
    ↑これが正解に近いかと思います。
    無論暗に言わんとしている「よそ様にわざわざケンカ売りに行くくせに身内には甘いんだねw慣れ合いきめぇww」という点について思うところが多少はありますが、おかしいと思ったら「なんで他の編集者は何も言わないの?」でなくおかしいと思った当人が、おかしい点やそれを指摘しない編集者の力量不足をつつけばよいかと。コメントする権限は誰にでもあるフラットな場なのですから(´・ω・)

    私は相当面白馬鹿なこと言ってる奴がいない限りは
    ・そうでなくともわざわざ否定的なコメントを持って関与したりしない
    ・なんか頑張ってるみたいだけど長くて読むのがめんどくさい 
    あたりに落ち着きますが(細部をつつくエンターテインメントとしてつまらんものになりがちなため)、誰かたきつければ元気な奴ならやってくれるかもしれません(´・ω・)

    今気付いたけど俺べつに編集権限ないな(記事はあるけど)。凸にねだったらくれるかな(´・ω・)
     

  • '''' 2009-02-28 (土) 13:25:05
    なるほど参考になりました、暗に〜の部分は大体その通り思ってますが、はっきり言わなかったのは俺はそれを非難する者ではなく、あっても当然だと思ってるからです。自分でおかしいと思った点につっこまなかったのは、そうすることで身内意識ないし、なんらかの暗黙の了解があるかどうかは判別できんだろうと思ったからです。
    俺は学が無いので、卓越した技術をお持ちの本ウィキ編集者同士では大体賛同できる議論になるのか、ツッコんでないだけなのか解らなかった、「俺がバカなだけなの?」というのは茶化しているのではなく、割と本心です。
    ちなみにそういう類いのツッコミは通りすがりっぽい人からはされておりましたが、確かに面白い流れには発展してなさそうですね。
    大変参考になるレスでした。ありがとうございました
     
  • kanedo 2009-03-01 (日) 01:34:40
    基本的に、丁寧な態度で細かい点を指摘しても面白い流れに発展しないよね。「よそ様にわざわざケンカ売りに行くくせに身内には甘いんだねw慣れ合いきめぇwwまんこぴっぴーwwwwwww」くらいで突入するのが正解(´・ω・)
     
  • robert 2009-03-01 (日) 13:01:11
    > 丁寧な態度で細かい点を指摘
    (議論テク)大衆論法:態度批判だな。
     
  • 世も末 2009-10-23 (金) 00:27:06
    blog更新しないのー?
     
  • 高嶺モナカ 2010-08-16 (月) 01:49:18
    初めて書き込ませて頂きます、高嶺モナカという者です。
    偶然(でもないのですが)このウィキを発見して以降(といっても3日前なのですが)、記事を興味深く拝見させていただき、非常に新鮮な驚きを感じていたのですが、そこで疑問に感ずることがあったので、ここにて質問させて頂きたく思います(どこで質問すればわからなかったもので)。
    それは、「名言」あるいは「名言的」という言葉の用法についてです。解説「制度としての名言」において、「名言」は、次のように定義されていると思われます:
    ー郊垢覆泙任坊り返される定型的な言葉
    何がしか感動的なもの、心を動かすものとして機能するとされる言葉
    M由なくその真理性が成立するかのごとく流通している言葉(トップページにおける、「その正しさや妥当性が、そうでないものに対して劣っている、ないし優れていることが合理的に推測できないにもかかわらず、何らかの事情によってそれと意識されることなく繰り返される言葉や行動等」という定義は、主としてこの側面に妥当しているのでしょう。「妥当性」というのが何を指すのかは不明ですが)
    ,髻嵬掌澄廚噺世Δ里どうかは率直に言って疑問ですが(例えば昼過ぎに挨拶として用いる「おはようございます」は「名言」とは言い難いでしょう)、これはあまり問題ではありません。重要なのは△鉢で、△牢尭阿箸い主観的価値判断に関わることであるのに対し、は真理という客観的なるものに関わることでしょう。ですが、△鉢を共に「名言」という語において指示することにはあまり意味は無いのではないでしょうか?
    例えば、「殺人は悪である」という言明と、「本当に頭の良い人は、必ず素人にもわかるような分かりやすい言葉で書く」という言明とは、根本的に性質が異なります。というのは、前者は自らの主張の普遍的妥当性を内包していない(というよりこの主張は、「私にとって」殺人は悪であるということを普通は表すでしょう)のに対し、後者は(「私にとって必ず」という奇怪な概念規定を行わない限りは)自己の主張の普遍的な妥当を要請するからです。故に後者は、それを正しいと信ずる者(=このウィキで定義されるところの「大衆」)によって主張されることで、それに反抗する者に対する権力的な抑圧として働きますが、前者は、仮に「大衆」によって同意され声高に主張されるとしても、かかる同意が存在するのは「たまたま「大衆」の間で、善悪の基準が一致しただけ」という理由のためであり、主張そのものに「この主張は普遍的に妥当する」という言明は含まれません。「殺人は悪である」という主張が普遍的に妥当するためには、別のメタ倫理的命題、つまり「普遍的な悪が存在する」という命題が成立せねばなりません。「殺人は悪である」と主張する「大衆」を批判するためには、こっちのメタ倫理命題、「普遍的な悪が存在する」という言明を「大衆」が真と捉えていることを批判すればよいのですが、これを真と捉えることを批判したかて「殺人は悪である」という命題が、真理を覆い隠すという意味で「名言的」になるわけではありません(この意味で「名言的」なのは、「普遍的な悪が存在する」という命題の方)。
    ですので、△亮錣慮斥佞了つ「名言性」に対する批判はに吸収されてしまうのではないでしょうか、というのが私の疑問です。というよりは、真理性や普遍的妥当性を標榜しない「執拗なまでに繰り返される定型的な言葉」や、「何がしか感動的なもの、心を動かすものとして機能するとされる言葉」を「名言的」として批判することを、このウィキは目的としているのか、というのが私の疑問の正確な表現です。先の例について申し上げますと、「普遍的な悪が存在する」という命題を否定しても尚、「私にとって殺人は悪である、理由などない。しかしそれを君に理解されたいとは思わないし、同意も求めない」と主張することは可能であり、このような主張を批判するのは、もはや合理性や真理性の問題とは無関係な、単純な好悪、趣味の問題でしょう。というのも、このような主張を「そのような態度は知的ではない」と批判することは、「普遍的悪が存在する」という主張が「知的ではない」と主張することとは全く異なっているからです(というのも、前者の批判は、「名言」による制度的な権力が存在しない状況でのものだからです。後者はそうではないでしょう)。ですので、「私にとって殺人は悪である、理由などない。しかしそれを君に理解されたいとは思わないし、同意も求めない」と主張する聖人君子への批判は、「制度としての名言」批判とは性質を異にしているように思えるのですが、この聖人君子すらも批判の対象なのでしょうか?

    さて、ここまでは純理論的といいますか、はっきりいってどうでも良いようなことについての疑問なのですが、更に疑問に思ったことがあるので、ここでそれもついでに表明したいと思います。つまりこのウィキにおいては、上記の「名言」定義におけるの要素が欠けた、単に△里澆魎淪する「名言」も批判されているように思えるのです(つまり、前述の聖人君子が批判対象となっているように思えます)。すなわち、ある言明ないし思考態度が「その言明の理由が自覚されないままに」抱かれ、発話されている、ということをもって、その言明ないし思考態度が「名言(的)」として、「知的」ではないものとして批判されている、そのような箇所が多く見受けられるように思います。例えば「オタク」の項目においては「オタク」が「名言」として扱われています(少なくとも私にはそのように思えます)が、通常「オタクはきもい」という「名言」が発せられる場合、そこで意味されているのは「オタクは『私にとって』気持ち悪い存在です」ということであって、「オタクはきもい、従って全てオタクは死ぬべきである」とか、「オタクは人類にとって危険な、普遍的な悪である」といったことではありません(まあそう主張する人もいますが、圧倒的大多数の「オタク」嫌悪は、そこまで強くないと思われます)。従って、「オタクはきもい」は真理として働いておらず(たまたま多くの人々がそう思うということはあるにしても)、故に定義のを内包していないと思うのですが、にもかかわらず「オタク」という語は「名言的」に用いられる、とされています。
    もし、「オタクがきもい」に代表される、理由なき言明が、常に普遍的な権力性をもって通用しているならばよいのですが、実際にはそのような言明の中には(というより多くは)個人的な範囲においてのみ妥当する、趣味判断的な言明も多く含まれていると思われ、従ってそれらに対する批判はその権力性への批判ではなく、単に当該言明者の趣味=知性の欠如という側面に向かった、それ自体きわめて趣味判断的な批判になってしまうのではないか、と思うのです。また「知的」とは何であるかの定義は多義的であり、その定義を共有することは不可能でしょうから、この点においても、ある人間の行為を「名言(的)」と断ずること自体が、普遍性を持たない趣味的判断である、と推察するに足るでしょう。もとより「知的」あるいは「学問的」という言葉は、何らかの知の体系において要請される一定の方法に従っているか否か、という基準によって判断されると私は思うのですが、しかし趣味判断相互の議論においては、ある主張が「学問的」か、「知的」か、きちんとした根拠を有するか、という事情は、当該主張の説得性を増すかもしれませんが、しかしその程度の効果しかもたらさないと思います。如何に説得的(ないしは「論理的」)な根拠を多数挙げて『ゲド戦記』が駄作であるかを語ったとしても、その主張が規範的命題として機能したり、普遍的真理として妥当したり、「客観性」を標榜することはないはずです。そしてこの主張をする人間が、「何となく『ゲド戦記』は好きです」という人間を批判したとしても、それは趣味の領域における、非普遍的な批判に過ぎないはずです。「知的」な言明は確かに学問という知の体系内においては認められるでしょうが、それは趣味判断間における意見の優位性の弁証にはならないと思います(これに対し、ある言明の真理性の検討は、趣味判断相互間の議論とは性質が異なったものになるでしょう。さながら数学の如く)。

    以上述べた理由から、このウィキは、「制度として暗黙の権力を作動させ、もって相手への抑圧として働く言明」(第1塊にて述べた部分)と、「単に個人がそう思っているだけの、しかしながら確たる確証や理由をもたない凡庸な言明」(第2塊にて述べた部分)とを共に「名言」として包摂し、両者への批判を無自覚的に混同して行っているように、私には思えるのです。しかしながら、この両者への批判の構造はイコールではなく、前者の批判はある言明が「真理」として権力性を帯びることを批判されるのに対し、後者は単にその言明が「知的でなく、従って趣味が悪い」として批判される所、本来は前者についての批判を「趣味が悪い」と見なし、あるいは後者への批判を「誤りである」として批判している場面が、本ウィキでは散見される、というのが疑問の趣旨です(前者はパッと見では実例がありませんでした。後者の例としては、「本当に頭の良い人はわかりやすく書く」における「ところが、このステップに乗り遅れる者もいる。脱落してしまった彼らは口々にこう叫ぶ。「本当に頭の良い人は、誰にでもわかる言葉を使う」「頭の悪い人に限って、知識を見せびらかそうとして難しい言葉を使う」だが、そのすべてが誤りである。」という主張があるでしょう。これらの主張は単に「愚か」なのであり、「誤り」なわけではありません)。確かにこの両者は画然と区別されるものではなく、「『ゲド戦記』は素晴らしい。これに感動しない奴はカスだ」という主張がいずれに分類されるのかは判然とせず、この見解への批判がいかなる性質を持つのか、ということも、確然と決定することはできないでしょう。しかし自らの批判が、何れの意図に則ってなされているのか、ということを自覚しておくことは有益でしょう(それは議論の性質決定においても有益でしょう)から、このウィキがいかなる意図と志向において議論を為す場なのか、を疑問に思い、ここに投稿した次第であります。なお、このウィキにおいては「笑う」とか「嗤う」といった表現が散見され、私自身は当ウィキにおいては「名言」の批判はかなりの程度趣味的観点からなされている(さながら貴族が農民の格好を「高貴でない」と批判するが如く)と思うのですが、この認識が正しいか否か、ということを確かめる意味でも、この問いを熱い胸の奥に潜ませるのではなく、公の光の下にはだけさせた、ということであります。
    以上の2点について、先賢の方々からのご意見をお待ちしております。
     

  • 高嶺モナカ 2010-08-16 (月) 01:49:24
    初めて書き込ませて頂きます、高嶺モナカという者です。
    偶然(でもないのですが)このウィキを発見して以降(といっても3日前なのですが)、記事を興味深く拝見させていただき、非常に新鮮な驚きを感じていたのですが、そこで疑問に感ずることがあったので、ここにて質問させて頂きたく思います(どこで質問すればわからなかったもので)。
    それは、「名言」あるいは「名言的」という言葉の用法についてです。解説「制度としての名言」において、「名言」は、次のように定義されていると思われます:
    ー郊垢覆泙任坊り返される定型的な言葉
    何がしか感動的なもの、心を動かすものとして機能するとされる言葉
    M由なくその真理性が成立するかのごとく流通している言葉(トップページにおける、「その正しさや妥当性が、そうでないものに対して劣っている、ないし優れていることが合理的に推測できないにもかかわらず、何らかの事情によってそれと意識されることなく繰り返される言葉や行動等」という定義は、主としてこの側面に妥当しているのでしょう。「妥当性」というのが何を指すのかは不明ですが)
    ,髻嵬掌澄廚噺世Δ里どうかは率直に言って疑問ですが(例えば昼過ぎに挨拶として用いる「おはようございます」は「名言」とは言い難いでしょう)、これはあまり問題ではありません。重要なのは△鉢で、△牢尭阿箸い主観的価値判断に関わることであるのに対し、は真理という客観的なるものに関わることでしょう。ですが、△鉢を共に「名言」という語において指示することにはあまり意味は無いのではないでしょうか?
    例えば、「殺人は悪である」という言明と、「本当に頭の良い人は、必ず素人にもわかるような分かりやすい言葉で書く」という言明とは、根本的に性質が異なります。というのは、前者は自らの主張の普遍的妥当性を内包していない(というよりこの主張は、「私にとって」殺人は悪であるということを普通は表すでしょう)のに対し、後者は(「私にとって必ず」という奇怪な概念規定を行わない限りは)自己の主張の普遍的な妥当を要請するからです。故に後者は、それを正しいと信ずる者(=このウィキで定義されるところの「大衆」)によって主張されることで、それに反抗する者に対する権力的な抑圧として働きますが、前者は、仮に「大衆」によって同意され声高に主張されるとしても、かかる同意が存在するのは「たまたま「大衆」の間で、善悪の基準が一致しただけ」という理由のためであり、主張そのものに「この主張は普遍的に妥当する」という言明は含まれません。「殺人は悪である」という主張が普遍的に妥当するためには、別のメタ倫理的命題、つまり「普遍的な悪が存在する」という命題が成立せねばなりません。「殺人は悪である」と主張する「大衆」を批判するためには、こっちのメタ倫理命題、「普遍的な悪が存在する」という言明を「大衆」が真と捉えていることを批判すればよいのですが、これを真と捉えることを批判したかて「殺人は悪である」という命題が、真理を覆い隠すという意味で「名言的」になるわけではありません(この意味で「名言的」なのは、「普遍的な悪が存在する」という命題の方)。
    ですので、△亮錣慮斥佞了つ「名言性」に対する批判はに吸収されてしまうのではないでしょうか、というのが私の疑問です。というよりは、真理性や普遍的妥当性を標榜しない「執拗なまでに繰り返される定型的な言葉」や、「何がしか感動的なもの、心を動かすものとして機能するとされる言葉」を「名言的」として批判することを、このウィキは目的としているのか、というのが私の疑問の正確な表現です。先の例について申し上げますと、「普遍的な悪が存在する」という命題を否定しても尚、「私にとって殺人は悪である、理由などない。しかしそれを君に理解されたいとは思わないし、同意も求めない」と主張することは可能であり、このような主張を批判するのは、もはや合理性や真理性の問題とは無関係な、単純な好悪、趣味の問題でしょう。というのも、このような主張を「そのような態度は知的ではない」と批判することは、「普遍的悪が存在する」という主張が「知的ではない」と主張することとは全く異なっているからです(というのも、前者の批判は、「名言」による制度的な権力が存在しない状況でのものだからです。後者はそうではないでしょう)。ですので、「私にとって殺人は悪である、理由などない。しかしそれを君に理解されたいとは思わないし、同意も求めない」と主張する聖人君子への批判は、「制度としての名言」批判とは性質を異にしているように思えるのですが、この聖人君子すらも批判の対象なのでしょうか?

    さて、ここまでは純理論的といいますか、はっきりいってどうでも良いようなことについての疑問なのですが、更に疑問に思ったことがあるので、ここでそれもついでに表明したいと思います。つまりこのウィキにおいては、上記の「名言」定義におけるの要素が欠けた、単に△里澆魎淪する「名言」も批判されているように思えるのです(つまり、前述の聖人君子が批判対象となっているように思えます)。すなわち、ある言明ないし思考態度が「その言明の理由が自覚されないままに」抱かれ、発話されている、ということをもって、その言明ないし思考態度が「名言(的)」として、「知的」ではないものとして批判されている、そのような箇所が多く見受けられるように思います。例えば「オタク」の項目においては「オタク」が「名言」として扱われています(少なくとも私にはそのように思えます)が、通常「オタクはきもい」という「名言」が発せられる場合、そこで意味されているのは「オタクは『私にとって』気持ち悪い存在です」ということであって、「オタクはきもい、従って全てオタクは死ぬべきである」とか、「オタクは人類にとって危険な、普遍的な悪である」といったことではありません(まあそう主張する人もいますが、圧倒的大多数の「オタク」嫌悪は、そこまで強くないと思われます)。従って、「オタクはきもい」は真理として働いておらず(たまたま多くの人々がそう思うということはあるにしても)、故に定義のを内包していないと思うのですが、にもかかわらず「オタク」という語は「名言的」に用いられる、とされています。
    もし、「オタクがきもい」に代表される、理由なき言明が、常に普遍的な権力性をもって通用しているならばよいのですが、実際にはそのような言明の中には(というより多くは)個人的な範囲においてのみ妥当する、趣味判断的な言明も多く含まれていると思われ、従ってそれらに対する批判はその権力性への批判ではなく、単に当該言明者の趣味=知性の欠如という側面に向かった、それ自体きわめて趣味判断的な批判になってしまうのではないか、と思うのです。また「知的」とは何であるかの定義は多義的であり、その定義を共有することは不可能でしょうから、この点においても、ある人間の行為を「名言(的)」と断ずること自体が、普遍性を持たない趣味的判断である、と推察するに足るでしょう。もとより「知的」あるいは「学問的」という言葉は、何らかの知の体系において要請される一定の方法に従っているか否か、という基準によって判断されると私は思うのですが、しかし趣味判断相互の議論においては、ある主張が「学問的」か、「知的」か、きちんとした根拠を有するか、という事情は、当該主張の説得性を増すかもしれませんが、しかしその程度の効果しかもたらさないと思います。如何に説得的(ないしは「論理的」)な根拠を多数挙げて『ゲド戦記』が駄作であるかを語ったとしても、その主張が規範的命題として機能したり、普遍的真理として妥当したり、「客観性」を標榜することはないはずです。そしてこの主張をする人間が、「何となく『ゲド戦記』は好きです」という人間を批判したとしても、それは趣味の領域における、非普遍的な批判に過ぎないはずです。「知的」な言明は確かに学問という知の体系内においては認められるでしょうが、それは趣味判断間における意見の優位性の弁証にはならないと思います(これに対し、ある言明の真理性の検討は、趣味判断相互間の議論とは性質が異なったものになるでしょう。さながら数学の如く)。

    以上述べた理由から、このウィキは、「制度として暗黙の権力を作動させ、もって相手への抑圧として働く言明」(第1塊にて述べた部分)と、「単に個人がそう思っているだけの、しかしながら確たる確証や理由をもたない凡庸な言明」(第2塊にて述べた部分)とを共に「名言」として包摂し、両者への批判を無自覚的に混同して行っているように、私には思えるのです。しかしながら、この両者への批判の構造はイコールではなく、前者の批判はある言明が「真理」として権力性を帯びることを批判されるのに対し、後者は単にその言明が「知的でなく、従って趣味が悪い」として批判される所、本来は前者についての批判を「趣味が悪い」と見なし、あるいは後者への批判を「誤りである」として批判している場面が、本ウィキでは散見される、というのが疑問の趣旨です(前者はパッと見では実例がありませんでした。後者の例としては、「本当に頭の良い人はわかりやすく書く」における「ところが、このステップに乗り遅れる者もいる。脱落してしまった彼らは口々にこう叫ぶ。「本当に頭の良い人は、誰にでもわかる言葉を使う」「頭の悪い人に限って、知識を見せびらかそうとして難しい言葉を使う」だが、そのすべてが誤りである。」という主張があるでしょう。これらの主張は単に「愚か」なのであり、「誤り」なわけではありません)。確かにこの両者は画然と区別されるものではなく、「『ゲド戦記』は素晴らしい。これに感動しない奴はカスだ」という主張がいずれに分類されるのかは判然とせず、この見解への批判がいかなる性質を持つのか、ということも、確然と決定することはできないでしょう。しかし自らの批判が、何れの意図に則ってなされているのか、ということを自覚しておくことは有益でしょう(それは議論の性質決定においても有益でしょう)から、このウィキがいかなる意図と志向において議論を為す場なのか、を疑問に思い、ここに投稿した次第であります。なお、このウィキにおいては「笑う」とか「嗤う」といった表現が散見され、私自身は当ウィキにおいては「名言」の批判はかなりの程度趣味的観点からなされている(さながら貴族が農民の格好を「高貴でない」と批判するが如く)と思うのですが、この認識が正しいか否か、ということを確かめる意味でも、この問いを熱い胸の奥に潜ませるのではなく、公の光の下にはだけさせた、ということであります。
    以上の2点について、先賢の方々からのご意見をお待ちしております。
     

  • 高嶺モナカ 2010-08-16 (月) 01:50:18
    何か二回書き込んでしまいました。ページを見づらくして申し訳ありません。
     
  • ここまで読んだよ 2010-08-16 (月) 02:08:05
    このサイトでは「最下層の人間」からの返答ですが・・・・

    「掲題を羅列することには意味が存在する」と、開設者(とつげき東北、以下、凸)が私に明言しています
    当時、凸に著者Revinが記述した掲題に誘導された記憶がありますが、どこだったかは忘れました
    その意味で言うなら、以降に該当するものであっても羅列をするには多大なる意味があり、また、それらを取捨選択をすることも読者がこのサイトの目標である「頭がよくなる」ことに繋がると考えます
    また、このサイトでは、暗黙のうちではありますが、所謂頭のよく無い一般人を大衆と称して、または、自らの考えにそぐわない有名人を名指しして嘲笑する傾向があります
    その行為傾向において、以降が有効なのは明白であり、多用されるということが何を意味するかは想像に難く無いでしょう
    事実、このサイトは日本国法を黙殺して「中傷行為」を正当化しています(当サイト内だけであることは注意してください)
    それがよいか悪いかはともかく、そういう場であるということ、極端に言えばアンダーグラウンド的な側面をもっていると考えれば、このサイトで行われている数々の言動の意味がわかるのではないでしょうか
    中傷OKということで敢えて書いてみるならば

     東大で講義を開くほどの著名人が、地下で他人を嘲笑うことに悦が入っている

    そういうサイトだと理解すれば良いでしょう
    ↓を,畔類分別する意味が無いということは、以上において説明できると思いますが、いかがでしょうか
     

  • ここまで読んだよ 2010-08-16 (月) 02:17:40
    >>凸
    一つ上を送信してからこのスレの4〜6行目に気づいた
    このスレにおいて上記が不当であるなら消してくだされ
     
  • 高嶺モナカ 2010-08-16 (月) 04:41:06
    早速のコメント有難うございます。
    >>「掲題を羅列することには意味が存在する」と、開設者(とつげき東北、以下、凸)が私に明言しています
    当時、凸に著者Revinが記述した掲題に誘導された記憶がありますが、どこだったかは忘れました
    その意味で言うなら、以降に該当するものであっても羅列をするには多大なる意味があり、また、それらを取捨選択をすることも読者がこのサイトの目標である「頭がよくなる」ことに繋がると考えます
    よく意味がわからないのですが。私が疑義を呈しているのは、△筬を「名言」と呼ぶのはけしからん、といったことではなく、「「名言」の「権力性」批判という観点からすれば、△蓮嵬掌澄廚猟蟲舛防塒廚猫に内包できるよね。一方「権力性」を持たない「名言」を批判するという観点からすれば、△廊と独立して定義する意義を持つようになるよね。しかし、もし△鬮と区別してしまうと、即ち趣味判断としての「名言」批判と、B┐繊嵜人=権力(等号に非ず)」としての「名言」批判とが混同されがちになって、実際混同されているよね。これはどういうこと?こんな風になるくらいなら、「名言」なんて曖昧なカテゴリは作んない方がよくね?」ということです。

    >>また、このサイトでは、暗黙のうちではありますが、所謂頭のよく無い一般人を大衆と称して、または、自らの考えにそぐわない有名人を名指しして嘲笑する傾向があります
    その行為傾向において、以降が有効なのは明白であり、多用されるということが何を意味するかは想像に難く無いでしょう
    これは要するに、このウィキが「大衆批判」を最初から目的にしており、そのための道具として「名言」という道具が拵えられた、ということでしょうか?だとしたら、その後付の道具たる「名言」という語の意味が不明瞭なのは納得できるのですが・・・(2つ下参照)

    >>事実、このサイトは日本国法を黙殺して「中傷行為」を正当化しています(当サイト内だけであることは注意してください)
    名誉毀損罪は、余程のことがない限り、匿名掲示板上の中傷によっては成立しないと思います。まあこれはどうでも良いですね。

    >>中傷OKということで敢えて書いてみるならば
     東大で講義を開くほどの著名人が、地下で他人を嘲笑うことに悦が入っている
    そういうサイトだと理解すれば良いでしょう
    うーん。とするとこのウィキにおいて「権力」とか「真理」とか「意味と強度」(この「強度」という概念も謎で、個人的には功利主義における「効用」と何が違うのか、解説を読む限りでは分からないのです。統治功利主義が必ずしも人格の同一性というフィクションを必要とせず、従って効用を非人格的かつ瞬間的に定義しうるとすれば、効用という概念から区別された「強度」という概念の存在意義が、浅学な私にはますます不明になってしまうのです)とかが語られているのと符合しないように思われるのですが。他人を嘲笑うことが目的なのであれば大して問題ないのですが、もしそうなりますと、2ちゃんねるなどにおける烏合の衆の責任なき誹謗中傷の嵐と、このウィキにおいてなされる「議論」なるものとが本質的に区別不能になってしまう恐れがあるのです(意見に合理的根拠があることや、「普遍的な」根拠があること、論法が論理的であることなどは全て、主張の説得力を上げはするが、主張の「正しさ」を上げたり、主張を主観的な趣味判断から客観的な言明へと昇華させたりはしない、というのは上に述べたとおりです。とすれば、いかに「大衆」の論法を批判したとしても、当該批判自体が「説得力のある主観判断」に留まる以上、「議論」の構造自体の変革に向かわねば、結局「知的」な批判は「大衆論法」の域を出ないものとなってしまうと思われます)。もし「権力性批判」であるとか「生産的議論の構築」であるとか、そういったことがこのウィキにおける「議論」の目的であるならば、この謗りは回避されるのですが、もしここまで読んだよさんの仰るが如く、それが「議論」の本旨ではないとすると、いけしゃあしゃあと「大衆」を批判することは、感情ないし趣味の観点以外からは(例えば「客観性」の観点からは)不可能であるように思われます。この辺りのことが如何に解釈されているのか、が、要するに私の疑問であったのです。

    >>↓を,畔類分別する意味が無いということは、以上において説明できると思いますが、いかがでしょうか
    何故この結論が出てくるのか、更に謎が深まりました。,呂い錣亞宛的、記述的な定義です(反復されるのは「名言」だけではなく、挨拶や自分の名前もそうでしょう。もっとも、我々は挨拶が何を意味するのか、自分の名前が何を意味するのか、について想像以上に無自覚であり、その点でこれらもまた「名言」なのかもしれませんが)。ですが△筬はそれとは異なる面からの定義でしょう。ですので,鉢↓は寧ろ厳然と区別されると思いますが、如何でしょうか。
    あるいは、ここまで読んだよさんの主張とは、次のような主張なのでしょうか?「,蓮崑臀亜廚慮生譴瞭団Г任△襦これを批判しよう。そうだ、これは↓という性質を常に持っているじゃないか(勿論持っていない)。よし、これらを全部ひっくるめて「名言」の定義となし、もって「大衆」を批判しよう、とウィキの発案者たるとつげき東北氏は考えた。」私の乏しい読解力では良く分かりませんでした。

    さて、これらは最早「純粋な質問」(批判と区別される「純粋な質問」とやらが何を示すのか、無学な私には良く分からないのですが)の域を超え出ており、従って批判用掲示板の方に移転したく思います。そこに同じレスをつけておくので、後はそちらで楽しみましょう。
     

  • fur 2013-05-04 (土) 20:26:23
    宮台真司の本はどんな感じ?面白い?
     
  • simeji 2017-01-07 (土) 22:14:14
    >>とつげきさん

    (項目投稿用)で不採用になった文章の、どこがダメだったかを解説してもらう事は可能でしょうか?次の投稿をする前に、ご指摘を踏まえ「■過言ではない」を修文したいと思うのですが。それとも「過言ではない」を名言だとする着眼自体がまずかったでしょうか?

    (項目テンプレート)や"どう考えても"の項目にある2015−12−21 (月) 02:35:04のコメントには「人生の半分を損している」を投稿する前から目を通していたのですが、にもかかわらずあの程度の文章しか書けなかったのは申し訳ありません。コメントにあった"実例"とは、名言が使われる際の実例でしょうか。それとも具体的な反論例、あるいは両方でしょうか。

    また、"人生の縮図"でとつげきさんが追加した

    >ただし、この操作は、「ライオンには心臓がある。人間にも心臓がある。よってライオンは人間の縮図である」と同等の論理学的な誤りを含んでいる。

    という一文の重要性なども教えて頂きたいです。
     

  • とつげき東北 2017-01-08 (日) 08:07:06
    >しめじ
    項目投稿用は、よっぽど自分が気に入って、かつ時間がある時しか採用しません。
    したがって、「過言ではない」も名言としてまとめられるとは思いますが、そのままの文章を載せるのはイマイチ違うので、もうちょっと文章や構成を練ってほしいです。

    質問に敢えてすべて答えませんが、一文の重要性については、本ウィキでは基本的に論理学的な操作に基づいて物事の正しさを決定するといった方向性があるため、一つの例として入れてみただけです。
    私は、常に、ある文章に「読者」が多数いる(可能性がある)ことを自覚しています。
    一部の人にとっては冗長であれ、冗長であることより、一部の人にとって「ああ、なるほど」と思ってもらえることを意識しています。
     

  • simeji 2017-01-08 (日) 09:29:06
    >>とつげきさん

    お答えいただきありがとうございます。言われてみると、自分は短くまとめることを重視し過ぎていたので、次はより詳細に述べることを意識してみます。

    っしゃ!次こそ文句なしの文章書いたるぜ!見とけよ〜。
     

  • simeji 2017-01-24 (火) 02:39:13
    >とつげきさん

    (>_<。)ぬああ「過言ではない」修正版はどの辺が下手やったんでしょうか。

    1、説明の内容に誤謬がある。
    2、説明の内容に誤謬はないが、言い回しや構成等、文章の品質が採用基準に満たない。
    3、説明の内容に誤謬はなく、文章の質も及第点だが、時間や気力の都合で項目化していない。

    1、に該当する場合のみご指南頂いてもよろしいでしょうか。もしこういう添削要請系の質問があまり歓迎されないのならば控えます。

    あと段落の頭の一字空け忘れてたのはすんませんでした( ;∀;)投稿してから気づきました。
     

  • とつげき東北 2017-01-25 (水) 01:14:57
    >しめじ
    とりあえず月〜火は神戸大学に出張に行ってた。
    おれの予想だがしめじが思っているほどおれはこのページに今時間をかけていない。
    よってそういうことだ。
    いずれヒマができたら見るよ。
     
  • simeji 2017-01-25 (水) 04:21:13
    >とつげきさん
    りょっす(`・ω・´)ゞお忙しいのにすいません。
    自分の文章が認められて項目化されるというのは今の私にとってなかなかやりがいのあるクエストとなっていたので、「過言ではない」が項目化されるまで何度でも修文してやろうと意気込んでおりました。
    何かしらの反応は期待してよろしいでしょうか?煩わしい思いをさせるのはこちらも気が引けますので、気長に待ちます。
     
  • とつげき東北 2017-01-25 (水) 23:07:51
    >しめじ
    よく読んだのだけど、最初の投稿の方を採用しました。
    後で書かれた方は、ちょっと分析がはずしている気がしました。
     
  • simeji 2017-01-26 (木) 00:44:54
    >とつげきさん
    修正したつもりが劣化していたとは( ;∀;)なんか恩情で〇を付けてもらったような形になってしまってすいません。「いや、元々最初の投稿に採用するに足るポテンシャルがあったのだ」と、前向きに捉えておきます(;´∀`)
     
  • こまいぬ星神 2017-01-29 (日) 12:07:49
    今さらですが、高嶺モナカ氏に一票投じたい(笑)

    これぐらい思考できる人はもはや皆無ですね。
    ご飯は思考こそそこそこできるが、
    とんでもない失言の後始末すらしないw
     

  • こまいぬ星神 2017-01-30 (月) 02:30:41
    (すみません。質問用のスレでしたね・・・今気づきました)
     

コメントは以下の作業を終えてからお願い致します。





重要:ボタンを押すか、手動で「OK!」と入力してからでないと反映されません。
一度入力すればクッキーによって保存され、入力の手間は省けます。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2017-01-30 (月) 02:30:41 (262d)