とつげき東北

ver.0.1

 議論で「勝つ」ために、根拠としての名言を相手に提示させて「得意論法」に持ち込む方法がある。

迷惑だ」の引き出し

 多くの人が「根拠」にできると信じて疑わない概念の一つに、「迷惑」がある。しかし、「迷惑」という状態は、常に彼らが排撃しようとしている立場の人々から逆に見れば、彼ら自身にもあてはまるため、これを利用することができる。

迷惑である」ということが「社会的に正当な論拠」とされるためには、「社会全体」から見て「迷惑」でなければならない。ところが、「社会全体の考え」というモノは、原理的な観点から言えば、幻想に過ぎないのである。例えばニート、老人、あるいは障害者は、生産性が低いため「社会から見て迷惑」と強弁することが可能である。しかしそうした人々の存在を「迷惑ではない」と判断する判断主体がまったく存在しない社会、というものは、今のところない。

 では殺人は迷惑だろうか。もちろん殺人などしない「われわれにとって」迷惑である。タバコは迷惑だろうか。「嫌煙者にとって」迷惑だろう。学歴の低い者は迷惑か。「学歴主義者にとって」迷惑かもわからぬ。このように、「迷惑」は、判断主体がどこにあるか、ということに強く依存する概念なのである。
 一方で、大衆は自らの抱える「常識」や「良識」にしか判断基準を置かないため、「自分たちにとっての迷惑」をそのまま全称命題あるいは「普遍的迷惑」に置き換えようとする。その部分に、彼らの極めて醜い快楽主義的言説が露呈する。
 これを釣り出すのは容易である。

 また、上記のような「社会全体からの迷惑」という概念の幻想性を指摘されると、彼らはしばしば思想的にヒキコモる。すなわち「これは個人の考え」などと言い出す。そうすればこれまた、新たな名言として追撃することが可能となるのである。

投稿日時:2007-07-13 (金) 01:39:31


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Last-modified: 2010-08-24 (火) 18:39:57 (2949d)