とつげき東北

(書きかけ ver2.5)

 思想的文脈において、「意味」に対して「強度」という語が用いられるとき、次のような事情が背景にある。

 日常、われわれはある程度「先」を見て生活・行動している。「こうすると後々得である」「こうしておいたほうがいい」といった具合だ。
 それは「意味」を表す。つまり、「その行為にどんな意味があるの?」と聞かれて、あっけらかんとした口調で難なく答えられ、おそらく共有されるだろう何かがそれである。確かに今勉強するのは面倒だ、だけどこれは将来きっと役立つ、といった「意味」があるからこそ、「合理的に」考えればその種の行為が選択されるものである――とされてきた。

 だが、「意味」には回収不可能なモノであって、しかも実存においてどうしても求められなければならないモノが存在する。伝統的な哲学・思想、さらに芸術はそれから目を背け続けてきた。
「意味」は、常に結論を先送りする。「いま、ここ」の幸せを抑制する代償として「未来の幸せ」を求める。では、いつになったらその「未来」がやってくるのだろうか。意味を追い求める人生にあっては、「未来」を迎えても、ともすれば、さらにその先の「未来」での「意味」を求め続けてしまうのではあるまいか。

 意味と対立する概念が「強度」である。これは瞬間的な「濃密さ」を表す。脳内に快感をもたらす化学物質が劇的に放出されるあの瞬間である。セックスという行為は、「子孫を残す本能」だとか、「愛を確かめ合う」だとか、そういった「意味」で塗り固めることもできるけれども、実際にはそこにある「強度」が求められなされるのだ。強度を前にしては、ひどく儚いその種の「説明」は、コンドームの使用やレイプの発生によって容易に消え去ってしまう。
 宗教学的な意味における祝祭は、散財という意味をもたらすだけでなくて、その場におけるケとハレとの関係性において語られ得るであろう。それはそのまま、意味と強度と置き換えることができよう。「祭り(や、今日でいえばイベント)」などに大した「意味」はない。だが、そこには明らかに強度が存在するのである。だからわれわれは意味なく感動したり、意味なく熱くなってみたり、意味なく対立したりするのだ。もっとも恥ずべきは「意味」を求めながらそれに失敗する場合だが、強度という観点を導入することは「合理的に」物事を理解するために必須である。
 冷静な人間ならなおさら、人生の機微は「意味」だけにあるのではないと知っている。アメリカでの凶悪な連続性犯罪者の多くがIQが非常に高い白人であるということも、彼らが「意味」ではない「強度」を自覚的に(すなわち道徳的な「教え」を相対化して)選択したからであると言って良いだろうか。

 芸術の分野においては「強度」を楽しむということがようやく一般化してきたかに見える。かつての写実主義的な絵や壮大な文学物語とは別に、「意味」のない絵、「何を伝えたいかわからない詩」といったものが登場してきた。そこに「意味」を求めるのは誤りである。意味などないからだ。
 マンガにおいてもこの種の傾向は顕著で、かつての少女漫画では、イケてない主人公の女性が好きな男性とうまくいく、といった「ストーリー」が描かれていたのに対して、安野モヨコらを代表とする近年の(特に女性向けの)マンガでは、意味のないセックスや暴力といった日常が描かれる(男性向けのマンガは未だに相対化されていない場合が多い)。
 だが未だに多くの人々は、あらゆる行為に「意味」を求めすぎる。「タバコを吸うなんて、何の役にもたたない」だとか、「麻雀研究なんかして、どうするの?」といった具合である。彼らは彼らの中にある、ある種の欲動をほとんど意図的に封印し、そうであるがゆえに人生を「楽しむ」術をまだ知り尽くしていないのである。

「意味の体系」の相対化

 事象の全般を、「意味」と「強度」に明確に2分することはできない。貯蓄することは当然意味的効果をもたらすが、貯蓄する瞬間の安心感を味わいつくせば、それは強度にもなり得る。優秀な生徒が数学の問題を解くことを楽しむのは、しばしば強度のためでもあり、また意味のためでもある。

 一般に、道徳や法は「意味の体系」として形作られる。それらは「共同体の維持」という合目的的な意味を持たせるがために構築されるものだからだ。「共同体」という大きなモノを遠視するとき、個人によって生きられる「強度」といった近視眼的なものは無視されなければならない。だからわれわれは幼い頃から「そんなことをしても意味がないでしょ!」「何の役にも立たないからやめなさい!」等といって親や先生に叱られてきたし、なるほど意味がないのだからやってもダメだ、と簡単に納得してしまうように教育されてきたに違いない。下手をすると「社会のために」何かをしようと信じ始める連中もいる。そこに盲目がある。
 とはいえ、意味の体系として形作られた「道徳」を信じることが、逆説的にマゾヒスティックな強度をもたらすようになる症状がある。強度を過度に抑圧される現代社会人は、日常の機微から自覚的に強度を吸い上げることをせず、その代償として意味の中から小さな強度を見出そうとするのである。しかしそれはおよそ最善の策とは言いがたい。

 現代、ボランティアに参加する若者の多くは、ボランティアに何かしら道徳的な「意味」が添えられていたかつてとは異なり、「やっていると自分が楽しいから」といった「強度」に敏感になりつつあるという(宮台真司『これが答えだ!』より)。極めて健全な傾向といえよう。
 意味からの離脱(相対化)と強度への自覚、「理屈」で物事を考える者が陥りがちな暗い淵から這い出すために必要なのは、この軽やかさに他ならない。

意味と大衆ドラマ、お笑い

 大衆向けの映画やドラマがおしなべて「意味」に基づいて「強度」を排除し、それゆえに凡愚な作品に堕するという形式は、上記の構造による。
(名言的作品紹介)(名言的作品紹介2)に述べたように、各種の「ストーリー」では、現代的な「意味づけ」を与えることに四苦八苦し、そのおかげで人間本質に存在するはずの強度への意志を描きそびれる。そのような作品は常に薄っぺらで、どこかしら現実味がない。
 道徳にまみれた大衆が好むものは他ならぬ「意味のあるストーリー」であり、それに迎合するために「意味」を描写するほかなく、そのせいで表現の多様性が失われる。これはまさに「表現の死」である。

 一方で、お笑いの世界を見よ。
 若手芸人が「意味がわからない」行為をすることが笑いを誘う。「意味」で塗り固められた一つの「真面目な世界」が「ずれる」瞬間を、われわれは少なくとも無意識的に求めている。
 お笑い番組は常に「ナンセンス」であり、一流のセンスある芸人は決して「意味」のみに溺れたりはしない。「感動」や「悲劇」のストーリーを表現しない。繰り広げられるべきは、その場における「真面目さ」からの意味のずらしの連続である。

(解説)名言とギャグ
(解説)センスの死

  • 2007-01-29 (月) 15:04:26
    あらま!「強度」って哲学用語だったんですね。思わず検索してしまいました・・・意味は「物語」で強度は「体感」だって。
    でも、「いま、ここ」を楽しみたいから「意味」が必要な人もいるんじゃないですかねえ?
     
  • M 2007-01-29 (月) 20:28:28
    >月

    『何のためにいま、ここを楽しみたいのか?』と意味は問い続けるだろうねぇ。
    勿論、意味を見つける事自体が、快楽である場合もあるだろう。
    しかし、その為には、『何のために?』という問いに答え続けなければならない。それは合理的でないし、霧が無い。
    この時、意味とは別の要素である『強度』を持ち込むと、『何のために?」という問いから逃れ、快楽のみを純粋に追求出来るのだ。
    それが相対化だと思う。
     

  • M 2007-01-29 (月) 20:31:31
    この項目の完成を心待ちにしてる俺が言うのもあれだがw
    ともあれ、続きが楽しみ〜♪
     
  • 2007-01-30 (火) 07:59:56
    >M
    なるほど!かなりすっきり分かりました。
     
  • ライオン 2007-01-30 (火) 23:44:03
    人間は欲求の塊だからな。食欲、性欲、権力これらを否定するのはナンセンスだが、他人の人権の保護のため、社会秩序のため理性として意味が必要なのはわかる。がしかし、必要性なく、人の欲求を否定するバカがいて、そのバカは自分に徳があると思ってやがる。先生あなたは、何をしたいのですか。
     
  • ライオン 2007-02-01 (木) 01:39:35
    意味は先生方の欲求を満たすため作られた社会のルール。アメリカとイラク。バカなインテリは社会ルールを基礎に意味を追求する。
     
  • えー 2007-02-01 (木) 14:33:51
    なるほど…。意味がないから楽しいなんて適当に思ってたけど「強度」という概念があるわけですな〜 いや、かなりスッキリしました。
     
  • ウエット 2007-02-05 (月) 01:35:23
    「コンドームをつけて」ではなく「コンドームをつけずに」ではなかろうか
     
  • とつげき東北 2007-02-05 (月) 02:13:43
    修正済!
     
  • 2007-02-05 (月) 09:07:12
    ボランティアね。私もそれっぽいことやってるけど、最初は「断りきれず・・・」だったのよ。でもどんどん楽しくなりました。たぶん自分の好きな分野だったからだと思う。
    だけどボランティアでも責任のある立場の人になると、楽しいことばかりでなくなってきますよね。例えば何かイベントを開いた時なんか、苦情受付はその人の担当ですからね。そういう時って、どうしても「意味」が必要になってくるのではないかと思います。このイベントはこういう意義があるんだから頑張ろう、とかね。
     
  • '''' 2007-02-05 (月) 11:02:24
    これだけではよく解らないんですが、強度についてうまく説いている本ってありますか?
     
  • '''' 2007-02-05 (月) 12:32:57
    とりあえず宮台を読もう。
     
  • IMP. 2007-02-05 (月) 18:16:30
    写実主義的な絵や壮大な文学物語はゴミって事っすか?
     
  • '''' 2007-02-05 (月) 20:27:13
    >IMP
    よく読もう。そうじゃない。
     
  • 2008-02-10 (日) 16:22:31
    強度さえあればどんな無意味な事でもできるじゃん
    って自己満足かよ!
     
  • チェリ 2009-08-10 (月) 02:37:21
    >実在においてどうしても求められなければならないモノ
    この日本語がわからない
    意味はないが必要なモノってこと?
    でも強度的ななにかで、かつ絶対に必要とされるものってあるかな?
    祭りも必要って言われたらそれまでだけど
     
  • とつげき東北 2009-08-17 (月) 00:30:16
    「意味」は、「絶対に必要とされるもの」という風には定義してないつもり。

    >「その行為にどんな意味があるの?」と聞かれて、あっけらかんとした
    >口調で難なく答えられ、【おそらく共有されるだろう何か】

    以外のものとして、「強度」を記述しています。
    「おいおいスト2そんなに強くなって何の意味があるんだよ……」
    と言われて、社会一般に納得させられる「意味」はあまりない。
    用意できるのは、「とにかくこのゲームが楽しいんだよ」という、半分意味、半分強度めいた返答だろう。

    社会一般には価値が低いとみなされているが、自分にとっては価値の高いものというのはいくらでも存在するはず。
    もっと極端には、デブ専にとってのデブとか、だめんず好きの女にとってのだめんずとかね。

    なので、
    >どうしても求められなければならないモノ
    の主語はシンプルに個人であり(この文脈においては、『どうしても=絶対必要』ではない。食事・排泄・呼吸などの多くは以外は意味がなくなってしまう)、かつ、当該モノとは、「社会一般の感覚」によって支持されるモノとはかけ離れたはずのモノである。

    いずれは「喫煙」といった行為も「意味がない」モノとなってゆくのでせう。
     

  • 2009-08-17 (月) 01:43:35
    ウメハラ並になれば人を感動させる事も出来るし大会で優勝すれば金も貰える。
    プロゲーマーなら年収1億稼い出る奴もいるし。
    スーパーマリオを5分でクリアなんて性的快感を得れるレベル。
    http://www.youtube.com/watch?v=KS7hkwbKmBM&hl=ja

 

  • とつげき東北 2009-08-18 (火) 08:14:19
    ウメハラ並になれば、とか、プロなら稼げる、とか、それがまさに「意味」だな。
    スト2やスーマリはそんな目標が一切なくても楽しめるし、だからこそ「社会一般にはすばらしくなく、個人にとってはとてもすばらしい」んだよ。
     
  • 2009-08-18 (火) 23:24:58
    まさにオナニー
     
  • チェリ 2009-08-31 (月) 20:06:29
    >>どうしても求められなければならないモノ
    >の主語はシンプルに個人であり

    そういうことですか。
    まあ、納得
     

  • nekomin 2009-09-03 (木) 16:46:10
    意味は、長期的な意味での強度(合理)とそうでない形式や慣習などの社会的な枠組みに分けられる。
    無意識的に、意味に該当するものを踏襲するのではなく、人間本質にとって利益となることを判断していくことが重要だ。

    ということですか?
     

  • '''' 2009-09-03 (木) 23:09:28
    すなわち、スーパーマリオを極めることは、反射神経や忍耐力や解析能力等々を高めることに繋がるから、長期的な意味で合理性があり、また人間は己の何らかの性質を高めることを本質的に希求する生物であるので、やはりそれに従うことに利益があるのであり、ボランティアや禁煙運動に参加するよりも強度的に優れていることなのである。
    他にも、どこの沢庵が一番美味いかを調べるために全国各地の全ての漬物屋を食べ歩いてみたりすることや、第一打に南を切るのがいいのか北を切るのがいいのかを調べるために100時間くらいぶっ続けで麻雀を打ち続けてみたりすることや、一介の学生が強い野球チームとは何かを考えるために公式戦の記録を過去20年に遡って調べてみたりすることや、パンツ一丁(無論汚れ一つない純白のブリーフ)で奇声を上げながら国道を10kmほど自転車で全力疾走してみたりすることは、全て長期的に合理性があることなのであり、人間本質に根ざすものなのである。
    逆に言えば、これらの行為は長期的な意味での合理性と人間本質に根ざす利益に準拠して行われるものであるので、合理性と利益がなければ行われる根拠を失ってしまうのである。しかし心配は無用だ。これに該当しない行為を行ってしまったところで、それは慣習等の社会的枠組みに当てはまるため、多くの人にとっては無意識的に意味が付与されているのだから「あいつヘンだ」などと思われたりはしないであろうし、そうでない行為は合理性と利益が確保されているのだから、知的な行為に分類され、自己満足と、たまに他己承認が得られることもあるであろう。どっちに転んでも損はない。世の中うまくできているのである。
     
  • とつげき東北 2009-09-04 (金) 00:04:52
    長期的には合理になるとか、本質にとって利益になるとか、そういう文脈(それこそまさに意味です)でない「(個人的)良さ」が強度です。

    勉強ができることは、それ自体楽しい(強度がある)けども、いい大学に入れるとか、エリートコースに進めるとかいった安直な説明がつくという観点で、「意味」側に近いです。
    一方で逆立ちが得意であることは、「それを極めればテレビに出れる」だとかそういう無理やりな「意味」を与えるのはちょっと不自然であって、でもなにか楽しいことですよね。そういうよさを、「意味」との相対関係において強度と呼びます。
     

  • nekomin 2009-09-04 (金) 00:08:36
    強度的な意味合いは長短期を含めて強弱があるので、あまりない方ばかりを実行するのは望ましくないのではないか。(強度をこういう使い方をしていいのかわからないが…)
    そういう意味で、無意識的に意味に該当する行為を踏襲することは、望ましい行動に比べて損とも言えるわけで、むしろ積極的に避けなければいけないのではないか。
     
  • nekomin 2009-09-04 (金) 00:11:55
    遅れてしまった。 案の定強度の使い方は間違っていた。
    (強度と意味とを対比をすることによって得られるメリットをどういう判断基準で考えればいいのかを掲示したかった。)

 

  • syslogd 2012-01-16 (月) 21:00:57
    強度=誰得
    ってことか( ゚д゚)
     
  • '''' 2017-03-08 (水) 18:38:05
    自分にとっては強度でやっていることが周りからみたら意味の場合、生きるのが楽ですよね
     

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Last-modified: 2017-03-08 (水) 18:38:05 (224d)