「名と愚行に関するウィキ」
責任者・主著者:とつげき東北 Twitter:totutohokuホームページ
サーバ等管理者:Revin Twitter:rev84ホームページ

2010年10月1日〜2011年3月31日まで東京大学非常勤講師をやってきました。資料こちら

mixi上の本ウィキコミュニティ   宣伝・無断リンク・直リンク大歓迎!

名言と愚行ウィキ関連掲示板

(批判・反論・中傷用)  (項目追加依頼用)  (項目投稿用)  (お気に入り項目投票用)  (機能要望用)
(名言的作品紹介) (名言的作品紹介2)  
(議論記録)  (議論記録:特別編)

リンク用バナー (200*40)
banar.gif
http://totutohoku.b23.coreserver.jp/totutohoku/image/banar.gif


●概要

 頭がよくなるページです。
 知的な態度でもって、「名言的」に用いられる言葉や行動、議論を分析し、笑うことを目的として作られています。
 論理と分析に裏打ちされた思考を身につけて、うるさい親や上司に反撃しよう!
 子供の「屁理屈」に対しては、真正面から、ロジックと愛情とを持って説明できるようになろう!
 難関大学入試・入社試験等における小論文等論述・文章理解・面接対応の練習、論理的思考法のトレーニング、他人との議論時のテクニック集としても使えます。

●「名言」あるいは「名言的」とは?

 試みに、「自分も以前はそう考えていた」という言葉を思い出してほしい。読者諸賢にはきっと、この言葉を耳にした記憶があるはずだ。なぜ筆者がそう言い切れるのかというと、この言葉は、まるでそれが「真理」であるかのように、人々によって「必要以上に」頻繁に用いられるからである。諸賢が人生において、これを聞くのは2度や3度の経験ではあるまい。05/12/25、Googleにて"も以前はそう考えて"を検索した結果、195HITであり、これはネット上において"黄色いバナナ"という言葉――603HIT――を目にする頻度の3分の1近くにも及ぶ(注記:14/12/26時点では、それぞれ32,600HIT、25,800HITであり、「"も以前はそう考えて"」の方がHIT数が多い)。

 さて、「自分も以前はそう考えていた」と発話されたときの情景を思い出せるだろうか。「以前考えていた」自分の考えを、発話者がなぜか否定しようとしていたことを。
自分も以前はそう考えていた、そして今もそう考えている」
自分も以前はそう考えていた、当時の私は正しかった」
といった言葉を聞くことは滅多にない。(後述する事情によって)読者諸賢は、
自分も以前はそう考えていた、しかし、今はこう考えている」
というように続きがちであることを、体験的に知っているはずである。

 なぜ、「自分も以前はそう考えていた」という発言に続く異口同音の主張が、「自分の以前の考え」をわざわざ否定するという奇妙な一方向性をはらんでいるのだろうか。誰のものでもないが誰のものでもあるこのフレーズが、なぜ多用されるのだろうか。何かこの言葉には、繰り返し使われるべきほどの特別な合理性や真実――バナナの黄色さと同じような――が含まれているのだろうか。

 実はこの言葉は、バナナが黄色いといったような真理性・合理性に基づく発話とは全く別の、悪意ある意図をもって利用される。彼があえて「以前の自分」を否定しにかかったのには理由がある。
 今彼は、彼と意見の対立する誰かの「考え」を、「以前の自分の考え」とそれとなくだぶらせ、「自分も以前はそう考えていたが、年月や経験や知識の増加とともに、そう考えなくなったのだ」と印象付けることで、相手の「考え」は間違っていて、しかも経験や知識が増加すればその間違いに気づくものであるというイメージを与えようとしているのだ――(詳細は自分も以前はそう考えていた参照)。彼は、現在の「考え」がなぜ正しいかを示すことなく、しかも、以前そう考えていたという根拠を示す必要さえなく、現在の自分の意見の相対的な正しさをかもし出すことができる――。
 読者諸賢の耳にしたこの言葉が、必ずしもこのような意図で用いられたかどうかはわからない。しかし、この言葉は驚くほどしばしば、このような形で、つまり発話することで周囲に与えがちなイメージや印象の操作を目指して悪用されてしまうのが事実なのである。

 この言葉の使用がいかに不当で不実であろうとも、この言葉を発することで利益が得られるような何がしかの事情・構造が存在してしまっているために、誰もが機会さえあればこの言葉を使いたがるようにできている。いわば麻薬的にこの言葉は使われ続けるのだ。
 こうした作用を持つものを、私たちは「名言的なもの=名言・愚行」と呼ぶ。

 名言に対する意識的な視点をもって世の中の人々の発言・行為を眺めてみると、じつは世の中には名言があふれていることに気づくだろう。
 古い諺(ことわざ)同士が、時に各々矛盾することはよく知られており、いまどき「急がば回れ」などという諺を得意げに語る者はもういない。だが、それに代わる各種のマスコミ的名言が、かつての諺と同様に、半ば悪意をもって恣意的に用いられ、人々を誘惑するよう仕向けられ、本来の正しさとは無関係に心を打ち、「真実」を隠蔽するよう機能し続けていることはあまり知られていない。「バランスが大切」と「中途半端が一番悪い」、「諦めたらそこで終わり」と「引き際が肝心」、「わかるときがくる」と「あの人には何を言っても無駄」等は、いずれも取るに足りない名言であって各々対義語をなすものだが、これらは話者の都合によって適宜使い分けられ、どれもが「それなりに正しい言葉」だと信じられていることから、何も知らない聞き手はしばしばだまされるのである。

 私たちはこうした名言の構造と作用について知らなければならない。
 このウィキでは、名言を暴き、濫用を牽制するとともに、理性的立場からの反論を記述し、さらには形式と形態とを明確にすることによって、あらゆる「名言的なもの」に対する鉄槌を下してゆく。
 ひとまずはこのページ左上の「項目一覧」を押し、索引を見ていただきたい。あるいは、画面左側の新着ページ群の中の任意の項目でもよい。議論等において違和感を覚えた単語を、「単語検索」で引いてみるのもよいし、各項目内にあるリンクを気分次第で辿ってもよい。
 聞いたことがある言葉、気になった項目、なんとなく目に付いた項目……好きな順でパラパラとご覧いただき、「頭が良くなる」のを実感してもらえれば幸甚である。

●このウィキの目的・意図は?

『名言と愚行に関するウィキ』は、以下に掲げることを主目的ないし理想として著述される。
・人々にそれと意識されずに使われ、または実行される「名言的なもの」及びその用法をピックアップし、読者にそれをそれと意識させること
・各々の「名言的なもの」の作用や効能を記述しながら、それらがなぜ慣習化・慢性化するかを、合理的立場から説明すること(その名言の麻薬的側面を暴くこと)
・「名言的なもの」に対して、論理的な反論を例示すること
・実用の意味においては、「議論」等の際によく使われる「名言」への、即効性のある具体的な反駁例を提示すること、雑な「議論」に負けない手法を身につけさせること
・本ウィキで取り上げられる事項にとどまらず、読者が、あらゆる「名言的なもの」に縛られずのびのびと、知的に行為できるように仕向けること →(解説)このウィキは禁止用語集ではない

※なお、本ウィキは、項目で取り上げる言葉・行為の全ての意味や使用法を列挙することを目的とする「辞書」ではない。あくまでもその言葉・行為が「名言的に用いられる」側面や状況を取り上げて光をあて、解説を加えるものである。この種の取捨選択は、前掲した目的を達するために不可欠であり、意図的になされるものである。したがって「この言葉にはこういう別の意味もある」「その見方は一面的である」といった類の反論は不要である。

●「名言的なもの」をしっかり定義すると?

「名言的なもの(以下、単に「名言」という)」とは、広義には、「その正しさや妥当性が、そうでないものに対して劣っている、ないし優れていることが合理的に推測できないにもかかわらず、何らかの事情によってそれと意識されることなく繰り返される言葉や行動等」を指す。
 狭義には、そのようなもののうち、それを使う当人に知的素養がない故に、その名言の使用等以上に有利になる行為をすることができず、あるいはその行為に思い至らず、慢性的に選択され続けなければならない一連の言葉や行動等を指す。この場合、名言の使用等が当人にとって何らかの利益になるという前提がある。
 狭義の名言には、中年の父親が娘とのコミュニケーション方法に惑ったあげく、使い古された同じギャグを口にするより他にない(そしてそれがセンスの悪いことであると気づいていない)、といった場合も含む。
 さらに、これらのうち「感動に基づくもの」は名言中の名言と言えるだろう。「感動」や「感動を演出できる人間になること」は、凡庸な知性しかなくとも求めることがたやすいものであり、各種の名言の使用等にきわめて深く関連しているものだからである。
 本ウィキでは、上述の定義における「名言」であるような言葉・行動を、名言・愚行と呼ぶ。

●その他詳細は?

・「名言」についての本格的な考察は→(解説)制度としての名言
・このページにおける「凡庸」「大衆」「知性」「知的」の定義は→(解説)定義「凡庸、大衆、知性」
・入試関係テクニック等については

 (スキル)入学試験・入社試験小論文
 (スキル)文章読解:センター試験国語・英語等9割超安定
議論関係のテクニック等については

 (議論テク)大衆論法:思想的ヒキコモリ
 (議論テク)大衆論法:価値観の違い
 (議論テク)大衆論法:態度批判
 (議論テク)大衆論法:無意味長文
 (議論テク)大衆論法:論点ずらし
 (議論テク)大衆論法:質問の反復
 (議論テク)大衆論法:誤差要因の列挙
 (議論テク)大衆論法:利便性と真理性の恣意的混同
 (議論テク)大衆論法:イメージ低下用語の濫用
 (議論テク)大衆論法:AではなくA’
 (議論テク)思考に慣れていないことの露呈
 (解説)議論において明快な勝敗がわかる例
・こうした思想に至る以前の大昔の文章

 道徳ゲームの終焉(かなり下手な文章です)
 神話から現実へ!
 勘違いしたブスにむかつかなくなるまで

筆者別検索の方法:(単語検索)から、「*とつげき東北 とつげき東北」等でOR検索してください。

●管理者、著者は?

【管理者】(本ウィキを管理・運営する)
 とつげき東北
   メールアドレス:totutohoku@hotmail.com
 Revin

【主筆者一覧】(本ウィキの各項目を編集する権利を保有する)
 とつげき東北(主著者)
 Revin(副著者)
 ヒトシンカ ※「凡辞苑」の作者。現在は連絡がとれない。

●参加するには?

参加時の注意は必読です。→(参加時の注意)
注意を熟読した上で、以下のとおりです。

一般の方の参加:
 閲覧・コメント自由
 各項目への質問、批判・反論・中傷等は各項目のコメントへ。
 各項目にコメントするにふさわしくない場合は→(読者質問用)(批判・反論・中傷用)
 項目追加を依頼する方法→(項目追加依頼用)
 項目を投稿する方法→(項目投稿用)

筆者の参加:
 面白い項目をどんどん追加/編集してください。
 その際は、可能な限り(項目テンプレート)の形式にあわせてください。
 新規に追加した項目は、こちらで読みを編集する必要があります。(読みの編集)
 (項目追加依頼用)(項目投稿用)(読者質問用)(批判・反論・中傷用)にも目を通しましょう。
 たまに、(筆者間の連絡)も見ましょう。
 コメント、コメントへのコメント等は自由です。
 コメント等が盛り上がっている項目を「age」るなど、活性化に結びつく思いつきはどんどんやってくれてかまいません。

筆者として参加したい:
 筆者として参加希望者はメールください。
 ある程度長い付き合いがあって、この人は知的で面白いことがかけそうだ、と判断した人にのみ許可しています。
 通常、まずは(項目投稿用)のページに優れた項目を投稿していくつも掲載されるなどしてから、筆者登録となります。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2016-12-27 (火) 12:55:25 (330d)