最強水準になるための麻雀講座:
技術的精神論

過去の講座と内容がかぶっていても、必ず1度はよく読んで理解するように。
過去の講座と内容が違っていたら、こちらを信じるように。おれだってどんどんレベルアップしてるのだから。






ネット麻雀の誕生は最強の雀士の到来を意味する!:

データ取り麻雀がどれだけ強いか(少なくとも最強になり得る可能性を唯一持つか)、それができるネットという環境が「小銭の取り合い」に比較してどれだけ実力向上に直結するか、知的好奇心を刺激するかということについて。

自称上級者に聞いてみるといい。
「オーラストップでリャンメン役なしテンパイしました。リーチしますか?」
「東1チートイドラドラテンパイ。他家リーチきてます。現物の西を切るか無スジ6を切るか」
「2378マン 34ピン 22456677ソウ。何を切りますか?」
こういった質問に明確に答えられなければやっぱりしょせん語り好きのただの打ち手だわな。
なにしろこれらは「順位」「和了」に強く影響する重要な技術知識だからだ。

状況による? 適当に逃げるのやめなさいって(笑)
こういった、100状況中90状況正解が導けるようなもろもろの「重要な選択」の一つ一つから「状況による」で逃げつづける限り、技術は向上しない。
彼は状況を適当に読んだつもりになり、せいぜい5回に3回くらい正しい選択をしたりしなかったりするだろう。
こんなもん、データ取ったりアタマ使えばすぐ答えは出る。それも「状況による」なんて曖昧に答えるのがバカバカしいほど極端に「正しい」選択がある。
わかってる人は毎回正しい選択ができる。それが技術というものだ。

では次のような問いはどうだろうか。
「君は他の要素はほとんど今のままで、和了率を1%上げ、放銃率を1%上げることができるとする。そのように打ち方を変化できるなら、すべきか?」
・・・また「和了率による、ルールによる、他家による」かよ。
だからよらないんだってば。研究しろちゃんと。
打ち方Aと打ち方Bのどちらが優れているのか、ということに関して、全ての麻雀の語り好きはほとんど何も知らないと言って良い。
比較方法を知らないし、考えつかないし、考えついたとしても実装できないし、また彼らの直感は恐ろしくあてにならないし、数式で説明しても理解しない。
彼らは実は、自分の和了率や他家の和了率の値さえデータに取ったことがないのだ!(笑)
そのくせ全てを知ったように妄想を垂れ流している。麻雀の鬼ですか?


今後麻雀最強の人間が現れるとすれば、それはネットからだろう。
将来現れる彼は、おれがやってるように、それまで「状況による」と思われていた様々な選択の答えを、おれよりも実証的に、理論的に、効率的に見つけていくだろう。
ただし彼は麻雀の偶然性と、種々の古い信仰と、プロ雀士のなけなしのプライドに阻まれて認められないだろう。
(ただ彼はおそらく、プロ雀士に認められることなど別に望まないと思うが 笑)
いわく「麻雀は確率の絵合わせではない」「大会で勝負しろ」と。

以上は麻雀の重要な側面がわかっていないからこそ出るセリフの典型だが、もっと端的に笑えるのは「麻雀の実力と運の比率は○:×だ」「いや△:□だ」だ。
なんで○や×が試合数と独立に定数で与えられてんねん( ≧∇≦)ブヒャ!!
自由奔放かお前は(笑)
「試合数が多くなると実力がでやすい」とかまあありふれた解答をよこす人は見たことあるが、何試合の場合に比率がいくらになるか、せめて、何試合以上ならそこそこ信頼できるのかまでちゃんと書いてる人は見たことない。

話をもどすと、そういう人は恐らく上の問題に「状況による」と答えるタイプの、「明確な答えは何一つわかってないが語る」凡庸な打ち手なんだろうなと思う。


基礎


同じ状況で同じ牌を切る: 極めて重要

今はついてないからリーチせずにダマに、最近スジヒッカケによく振ってるからあえてスジは避ける、などはやめること。
もしダマにした方が有利なら普段からそう打つべきだし、ダマにした方が不利ならダマにすべきではない。
調子とか短期的な損得から打ち方を変えると、自分に可能な最高の打ち方ができない。つまり、成績が悪くなる。
これは平均順位にけっこう影響を与える重要な事柄である。


裏をかいたりするな、あまり「読む」な、「この打ち方は恥ずかしい」と思うな、特定他家を意識するな:

誰かが数牌を2つポンした時に、ションパイの役牌をつかんできた。確かに、その牌は危険かもしれない。だがあるションパイが相手にトイツで、かつ当たり牌になっているような状況はそう多くない。持っていないかもしれないし、他家が押さえていて出ていないだけかもしれないし、アンコかもしれないし、まだ1シャンテンかもしれない。可能性として危険ではあっても、そしてその危険に気づいていたとしても、充分に勝負する価値がある時は「これは危険だ・・・」と読んだりせず「冷静に勝負!」する。変に「読み合い」があるという前提があるから、「裏をかく」などということがでてくるし、それに引っかかったり引っかけた気になる。
麻雀はもっと単純に打った方が効率が良いことが多い。少なくともおれは「裏をかく」ことや「読む」ことをまずしないが、相手がそれらをやろうとやるまいとにかかわらず彼らに勝っている。
また、3鳴きしてから降りる、とか、カンしたのにリーチされて降りる、というのは一般には「ヘタクソ」と思われる打ち方かもしれない。しかし実際、東1でヤクハイアンコのみ手をテンパイしている時に親からリーチが来たとして、一発目で危険牌の5を引いたとする。この時おれならほとんど迷わずアンコ落としする(おそらくこの方が、平均順位だけでなくトップ率も高くなる)。親からリーチが来るまでは、ヤクハイのみでテンパイすることが最善の策だったのであり、親からリーチが来た時には、降りることが最善の策だったとすれば、その行為は何も恥ずかしくない。最善の策を取らずにたまたま上がって喜んでいるドヘタの方が20倍恥ずかしい。メンツを崩して降りていたのにどうしようもないダマに振ってしまったとして、それもまたかっこわるいと思われるかもしれないが、全ツッパのドヘタを越える恥ずかしさではない。「攻める姿勢を持って振ったから立派」などというのは妄想にすぎない。もっと言うとドヘタがドヘタさを美化するための巧妙な嘘でしかない。
逆にまた、振ること自体が恥ずかしいと考えて必要以上に降りているのもださい(こういう人はたいてい、トップよりも2位の方が多いような成績分布になる、つまり最強水準レベルになれない)。たまにおれが観戦してると緊張してなのか下手と思われたくないのか、絶対勝負すべき手でも降りてしまう人がいる。要は成績を残せば恥ずかしくないのだから、放銃そのものを恐れたり無駄に「恥ずかしい」という感覚を持たない方がいい。状況が要請するなら、必要に応じて形テンのみのために親りーに無スジをばしばし通して良い。
最後に、特定の他家(例えば最強と名高い人)を意識するのもよくない。強いとうわさだからヤクハイのみではないだろう、この人のリーチだから降りよう、などと考えていると不利になるばかりだ。長期データで比較する「実力」に明確な差がある人であっても、1局だけで見ればそんなに大きく打ち方は違わないことが多い。強い人だって時にはクソリーする(笑)。


「読み」や「裏をかくこと」が役に立たない理由: 重要

ランダムな相手の総体的な和了傾向や降り傾向をつかむことが重要であって、ランダムな相手の打ち方をほんの数試合から知ることは難しい。
「こいつはリーチがかかると降りるタイプ」という判断は、非常に多くの場合間違う。
例えばおれは東風戦で先制リーチされたとき、8割方降りる打ち方だとする(2割程度は勝負に値する状況だとして)。
3試合のうちにおれが9回降り、3回勝負したとしよう(8割方降りる人にとってこれは非常によくあることだろう)。
これをもって「とつげきは75%攻める打ち手だな」と判断する。しかしこれは、たった1回の試行の違いで7〜8%もずれる「読み」である。
しかも、少し手が入っていたり、逆だったりすると、10回中10回降りることや5回攻めることもよくあることだ。
非常に大きな誤差が頻繁に起こる上、実際には直感では「75%攻める」などという細かい読みはしておらず、「攻撃型」「守備型」「普通」程度の区切りだろう。
その程度の曖昧な区切りで、全体として有効な戦術に活かせるような特定他家の挙動は「読め」ないだろう。
「普通」の降り方をする相手3人に対してなら降りるべきだった局面で、1つの「読み違い」によって攻めてしまう状況は、「読み」によってうまく当てられてかつその判断が有効に働く状況よりもかなり少ないか、せいぜい同じ程度は生ずるのではないか?

「読み」的中率が80%だった場合、結局3人全員に対する「読み」が的中する確率は半々、つまり運のみになる。
そしてたった12回程度の試行から、50%前後の範囲内にある現象の生起確率を80%以上の精度で当てることは極めて困難である。
そのような「読み」が、「総体的傾向」から得られる平均データよりも優れていることはかなり稀なことだ。
こうした「気付き」が、麻雀を古臭い「読み合い」ゲームではなしにリーチをかけてツモ上がるゲームにしたのではなかったか?

例えば役牌2つポンしている他家なら、12順目にリーチしても降りない場合が多い。これは「守備型」であっても多くの場合そうだ。
ここで今おれが「役牌2つポンしている他家なら、12順目にリーチしても降りない場合が多い」と言ったこと、これが「総体的な降り傾向」(データ)である。
読みは基本的にあてにならないと思った方がいい。特に、「読んだ」結果が当たったか外れたかを印象でしか覚えていない程度であれば、それは古い妄想の一つでしかなかろう。
さらに、「読んだ」結果が間違えたことによって、「読んだ」結果が当たったことによるメリットと同程度のデメリットがあるような場合は、よほど精度が高くなければ意味がないことを心得るべきだ(だからツモ切り順から当たり牌を「読んで」無スジを通すことは戦術としてほとんど役立たないのだ)。
その「読み」のさらに裏をかく、に至っては、まさにオカルトでしかない。

またランダムでない相手に対しても、漠然と「守備的」「攻撃的」程度の判断で相手の打ち方を見定め(=自分の打ち方を変え)ているようでは、平均データに乗って打つより効率的な戦術はとてもたてられない。
その場合も簡単にでいいからデータを取ろう(放銃率やリーチ率などの簡単なものだけでもいい)。
「読み」が当たったかどうかの直感的な判断は、大きく印象に依存し、だからこそ麻雀界には無限とも言えるほどたくさんのオカルトが生まれたことを忘れないこと。
語り好きの打ち手のほとんどが凡庸な成績しか出せないことは、彼らの語りのほとんど全部がこうしたオカルトでしかないことを示す。


何を読み何を読まないか: 重要

相手の手を読むなと言っても、何もかも全く見ないわけではない。
例えばおれは、相手が染め手であるかどうかはわりと読む。また食い仕掛けの当たり牌についても少々検討する。
しかし三色は読まないし、相手の手がチートイっぽいからと言って字牌を止めて無スジを切ったりすることはない。

なぜか?
生起確率が低い事象を「読んで」も無駄なのだ。
例えば相手のリーチがチートイであるという事象は、元々5%未満でしか起こらないことだ。もし非常にチートイ読み力が高い人がいて、相手のチートイ率が普段の4倍であるということまで読めたとしよう。
しかし、結局のところ相手のリーチがチートイである確率は20%までしかならない。
たった20%の事象に賭けて打ち方を変えて字牌でなく無スジを切るべきだろうか? もちろん違う。ピンフの確率は35%もあるし、タンヤオの確率だって20%近くある。
35%もあるピンフを警戒せず20%のチートイを優遇するのは下手である(しかもチートイだったとしても字牌待ちである確率となるとさらに半分以下になる)。
結局「字牌が普段より少しだけ危険」ということがわかるだけで、それで打ち方を変えるべき局面はほとんどない(読者の周りにも、そういう妄想で打ち方を変え、たまたま当たったときに「やっぱりな、ほら俺止めたんだよ」とか言っているドヘタはいることだろう)。
三色やイッツーも同様で、元々非常に出現しにくい役であるから読んでも意味がない(12345789から3が入ったリーチだったらどうするのだろう・・・)。
小さい確率の事象を読んで打ち方を変えるのは、その読みが外れた場合(ほとんどの場合)その打ち方変更が「無駄」になるわけで、全体から見て無駄の多い打ち方ということになる。

一方、ホンイツを読むのは、その出現率が高い(また食い仕掛けにおいて、高得点役の大部分を占める)からだ。
食い仕掛けにホンイツが複合する確率は、打ち手の癖にもよるが30%〜40%程度ある。フーロ数が増えれば増えるほど、その確率はさらに高まる。
「半々の確率でホンイツかも?」程度の簡単な読みでも、例えば40%分の読みの材料にはなったりする。チートイ読みや三色読みなどとは比較にならない信頼度である。
それだけ確率が変わって来て、しかもその結果生ずる出費の増加があれば、それによって切る牌を変えたりすることが戦略上有効になることも多々あるわけだ。
確率が高いもの(やそれによって生ずる結果が重大なもの)を読むことはしばしば戦略上有効だが、自称上級者が得意そうに「ここで上の三色の可能性を考えられないのはぬるい」などと読んでいるのは滑稽なだけだ。

読む前に、その読まれる対象の生起率(生起時のメリット・デメリット)を見積もること。
当たった場合のメリットと外れた場合のデメリットが同じ程度なら、少なくとも50%以上の確率で当たらないと損するだけだし、10%程度の確率で当たる読みであれば外れることの方がずっと多いから無駄が多くなる。
例えば20%もの確率で当たる「一点読み」でさえ、それでテンパイを崩したら、10回に8回「失敗」する。流局時収支で言えば2000×8も損する(マンガン2回放銃並)・・・意味ありますか?


状況によらない: 重要

「状況による」という言い訳はやめよう。常に「ある状況の下に判断する」クセをつけよう。

最初に言った問題
「オーラストップでリャンメン役なしテンパイしました。リーチしますか?」
「東1チートイドラドラテンパイ。他家リーチきてます。現物の西を切るか無スジ6を切るか」
「2378マン 34ピン 22456677ソウ。何を切りますか?」
これらを掲示板で聞いたところ、多くの人が「状況にもよるが・・・」という解答を出しており、しかも正答率は低かった。
とくに最後の問題については、95%以上の人が色々と「状況」を設定し講釈を垂れたあげく、誤答していた。

まず、極端な「状況」を設定することは無意味である。
「タンピンテンパイリーチしますか?」と言われて、確かに東1で相手がヤクマン13面待ちでテンパイしていたらそりゃリーチしない方がいい。
だが、そういう極端な例を考えるなら「状況による」のは当たり前で、「状況による」という言葉を吐くだけなら麻雀を全く知らない人にでもできる。何の意味もない。
オーラストップなら、などという場合分けはいらない。誰にでもわかるからだ。

それよりも、せっかく設定した「状況」内の判断で、彼らが間違っていることが問題である。
例えば「点数状況が〜〜で、〜〜のような状況で早く上がりたいならこれ」という風に答えていた人がいたが、何のことはない、それは早上がりを目指すにしても点数を目指すにしてもデメリットだらけの判断だった。
実際は、上の問題はほとんど全部の「状況」において、一意に解答が決まる問題なのだ(もちろん相手がヤクマンテンパイなどの極端な場合は除くが)。
「状況」を切り分けたのは何を隠そう、「判断の先伸ばし」でしかなかった。
上記の問題にぱっと答えるだけの基本的な判断力(麻雀の技術)が身についておらず、しかし誤答すると怖いから「状況」を切り分けてさも「様々な要因を考えている」かに見せる。
実際は、その様々な要因を含んだ上でも、最終的に判断をせねばならない。しかし残念なことに、判断(麻雀の技術)において、結局彼らは間違っていたのだ。
たくさんの状況を想定していれば、確かに上手に見えはする。しかし根本にある「ある状況でどれを切るべきか」の判断はそれとは別にあり、それこそが麻雀の技術なのだ。
「x+3>4、xを求めよ」と言われて、「Xが正の時」「xが負の時」と場合分けすることは誰にでもできるし、確かにまるで「数学の問題を解いている」ように見えるが、実際はこんな問題は場合分けせずに済むし、場合分けしなくてもいいということがわかっていることこそが、この問題の解法を良く知っているということなのだ。この問題で場合分けをしようとしまいと、最終的に「四則演算」が必要になる。彼らは場合分けしたあげく、結局四則演算で間違っていた。これはどういうことか? 「問題の解き方、そもそも基本的な四則演算が身についていない」ということに他ならない。そして、「四則演算ができないこと」を隠すために、「まるで数学の問題を解いているように見せた」のだ。

彼らの「状況分け」がいかに判断の際に大切な「状況分け」ではなく、単に「判断の先のばし」でしかないかを示す例がある。
「2378マン 34ピン 22456677ソウ。何を切りますか?」
に対して、彼らは「〜〜〜〜などの状況によるが、AかB」のように解答していた。
ところが実際は、BよりもAの方が圧倒的に有利だった。その有利さは、ほとんどあり得ない選択だと思われるCに対してBが有利な度合いと同程度だった。
もしも「状況によって」有利なはずのAよりもBを選択するということが正しいなら、同じように「状況によって」BではなくCを選択できなければならない。
ところが、彼らはCという選択など頭の片隅にも浮かばず、AかBだと言った

なぜか?
彼らの中で漠然とA=B>Cという間違ったイメージがあったからに他ならない。
そもそもおれがこの問題を出したのは、A>Bという判断ができるかどうか、明確にある差がわかっているか、ということの確認だったのだ。
CはBに対して非効率的だと彼らが判断できたように、BはAに対して非効率的だという判断を当然のように行えるのかどうかという麻雀技術の問題だったのである。
「状況によってAかBかC」と言えず、「状況によってAかB」と言ってしまったことが、彼らの「状況分け」が単なる「判断からの逃げ」でしかないことを端的に表している。
状況で分けるならAかBかCかと言わねばならない。そこまで極端な状況を想定しない立場ならAだと断定できなければならない。「AかB」という答え方は、この問題に正しく答えられない人だけがする。

状況別に考えるという姿勢自体は別に何も問題はない。
だが、「状況分け」の細かさだけで麻雀に強くなることはありえない。
大事なのは、分けられた状況、ある状況の中での「正しい判断」ができることだ(先の不等式の例でも、状況分けをしようとしまいと四則演算さえ正確にできれば確かに問題は解ける)。
ところが世の麻雀打ちの多くは、上級者ぶって「状況」を分け、それで満足してしまい重要な選択を正しくできない。
ほとんどの状況で一意に解が定まるはずの問題についても、勝手に「状況」を読み、「状況に対応した」気になってしばしば間違った方の牌を切る。
打ち方を定めるということは、わからない部分を「わからない」と認めて(無駄に状況を分けず)、その上でわかっている判断だけを使いながらわからない部分の理解や判断の正確さを求めていくことである。
何もかもわかっていないままに理解した気になり、判断した気になり進んできた。その結果として、わけのわからぬ「読み」やオカルトが生まれたのが麻雀だったのだ。


加えて言えば、何かしらの「状況」が違ったとしても、麻雀において大切な判断というのはあまり変わらないことを知るべきだ。
上に書いたが、「相手はチートイっぽい(チートイの確率が普段の4倍だ)」という状況があったとしても、それによって打牌が変わることはまれであった。
それよりも、その根底にある「相手がテンパイの時自分の手がどの程度なら攻めるか、降りるかの正しい判断」の方が遥かに重要だ。
根底の判断力の違いが、麻雀技術の違いなのだ。

上級者ぶった中級者は「この状況ならこれ」と、すぐに打牌を変えるが、実際のところそれは正しい打ち方で打てる確率を減らすことの方が圧倒的に多いものだ。
相手の待ち牌を1点に読んだからと言ってリャンメンでなくカンチャンに受けて追っかけリーチする人は、必ず弱い。
わけのわからない、当たる確率15%程度の「状況判断」「読み」で、打ち方を変えてどうするのだろうか。そもそも正しい答えを一つでも知っているのだろうか?

その上「状況判断」自体が全然できていないのだからなおさらである。
システマティック麻雀工学概論の実験において、コンピュータの「数え上げ」程度の読みが、「様々な状況」を考慮した人間の読みに圧勝したことを付け加えておく。


非科学主義者の主張:

「データや確率に基づいた麻雀は、打ち方を画一化させ平均化させる。その方法には限界があり、上級者は牌効率などを極めた上で、その先に行っている」

嘘である。
まず多くの人は麻雀に出てくるデータや「確率」を知らない。
彼らにあっては自分の和了率さえ知らない。
役牌をポンされたとき、ホンイツが複合する確率を知らない(せいぜい「状況による」で逃げる)。
アンコスジは危険だと言っているが、どの程度危険になるかの概算ができない(状況による)。
知ろうという向上心・知的好奇心さえ持たない。
サルか。
サルと人間が対戦して実力が画一化などされるわけがない。
だいたい、「他家の挙動を数値にするのは不可能、だからこそ麻雀は奥が深い」だとか言って、データや確率の麻雀が「完成」しないことを主張するのはサルどもだろうが。
「完成」しない限り、データやモデル理論から導かれる確率麻雀の技術は、常に向上する可能性を持つ。故に「限界」は存在せず、画一化するどころか常に進化する(サルの成績はなかなか向上しない)。

上級者は牌効率などを極めているというが全くの嘘。
前述の「基本的な牌効率の問題」においてほとんど全ての人が誤答したのを思い出すといい。回答者の中には東風の「上級者」がたくさんいたしプロもいた。
またおれは東風荘の超ラン内において「抜群に牌効率が良い(先制リーチ率の偏差値が超ラン内だけで75超)」が、まだ改善の余地はあるとわかっている。
上級者というのをどこから言うのか知らないが、例えば麻雀打ちの上位1%だとすれば、「彼らのうち大部分は牌効率がなっていない」。
プロの「何切る」の解答を見よ。「牌効率」だけの問題であっても、あまりにも解答が分かれている。少なくともプロの半分は牌効率がまだまだだということの証明である。

「その先」どころか、世の麻雀打ちはまだ第一の中継地点「オカルトを脱する」まで踏み出しているかどうかだ。


技術


いつ失敗して良いか: 重要

いきなりだが麻雀において失敗しても良い時というのがいつかを知っておくことは重要なことだ。
麻雀の1局はある結果とともに終了するが、その結果が、組み合わせ数的に多いものほど重要で、またその結果に影響を与えるものほど重要だ。
なぜなら、組み合わせ数的に多い(一番多いのは「他家が上がる」ことだろう)ということはそこでの技術差は一番結果に反映されやすいということだからだ。
多い順に言えば
他家の和了>自分の和了>流局
ということになるだろうが、この分布を変化させたり、この内部での得点変化を与えることが多い打牌で失敗しないことを心がけねばならない。

自分が上がれるはずの手なのに大きな失敗をして他家の和了になってしまうとか、他家ロンで乗り切れたのに放銃してしまうとか、そういうことは避けねばならない。
逆に、自分が上がれるかどうか怪しい配牌で少々失敗してもその差は成績に影響を与えにくいし、流局時に形テンを取る技術などは大して重要ではないのだ。

同様に考えると、「最も多い組み合わせの上がり方」がうまくなることは、成績の向上に直結する。
ピンフを作る効率が抜群に良い人は、チートイを作る効率が抜群に良い人よりも圧倒的に成績が良い。ピンフは全ての上がりの20%を占めるが、チートイはせいぜい3%程度だからだ。
ホンイツを上がるのがうまくなることは有効だが、チャンタや三色を作る技術はそれほどではないし、もっと重要なのはリーチで上がる技術を高めることだ。

通常の配牌をもらった時のとつげき東北の第一打。こんなもんかなり適当だ。
それが仮に少しの「失敗」であろうと、後から考えて色々理屈がつけられたとしても、それは成績に影響を与えない。
しかしテンパイ直前の形で待ちを悪くするとか(自分の和了→他家の和了という変化)、ベタオリに失敗するとか(他家のツモor他家からロン→自分の放銃という変化)、そういうミスは(超ランの負け組にたいへんよくあるミスだが・・・)非常によくない。ヤクハイトイツとドラドラのある手でなら第一打から真剣に打たなければいけない。

いつ失敗してよいか、あるいは、いつ失敗してはいけないかは、こういうことを意識していれば自ずとわかってくるだろう。
どこを考えれば強くなれるのかを考えて技術向上しよう。つまり「頭を使え」。


ミスを減らす: 極めて重要

先に述べた「重要な場面」でのミスを減らすことは、非常に単純かつ重要なことである。集中力と言っても良いかもしれない。
麻雀を打っていて、重要な場面でダメな打ち方をする。そのとき「何がダメかわからない」のが初級者。「何がダメかなんとなくわかる」のが中級者。「何がダメか明確にわかる」のが上級者。そして、明確なミスは決してしないのが最強水準である(なお、毎回の振込みごとに「やはりこっちだったか」などと適当に語っている奴は初〜中級者に属する)。
重要な局面において、むしろその場合にだけは100%頭を使ってミスを減らすこと。これだけによって安定Rは1950から2040にまで上がるかもしれない。
例えば5試合に1度だけ重要な局面で明確なミス(待ち選択のミスなど)をする人がいたとして、それによってその局の和了率が70%→60%に低下するとしよう。彼は、1試合平均で和了率を2%も下げている。
和了率が単純に2%減るということは、つまり、最強水準と平均レベルとの差ほどの差が生まれていることになるわけだ。20試合に1回だとしても0.5%というかなりの差がつく(長期成績で和了率に0.5%の差がつけば、成績はかなり大幅に変化する)。
テンパイ時やイーシャンテン時の待ち選択、特に、点数が高い場合やオーラスなどのそれは、ほんのちょっとしたミスであれ、安定Rにして50や100の差を平気でつけることをよく心がけよう。
逆に、クズ手の3シャンテンなどでのミスはほとんど影響しない。


成績に強く影響する技術: 極めて重要

上に書いたような「状況数の多いもの」「状況分布を変化させるもの」が成績に強く影響する。
それは次のような技術の差である。

特に影響が強いもの:
★ベタオリ技術(アンパイをどういう順で切るか、2家のリーチにどう対処するか、アンパイがない時にどれをアンパイと想定すれば良いか)
★点数状況判断技術(降りるべきか、攻めるべきか、安手で上がるべきか、そうではないかなどの判断)
★面前メンツ構成技術(牌効率、と言ってもいい。ピンフ作成技術にも近い。とにかく最速でリーチできる手に仕上げるための技術)
★リーチのタイミング(メンツ構成と強く関係する、また追っかけはすべきかどうか、などの判断も含む)

説明不要だろう。強くなってくると、2〜3局に1局くらいは「ベタオリ」をやるものだ。だからその技術の差は麻雀全体の技術にとって一番シビアな差となることは明らかだ。
またリーチのタイミングが「上がりやすさ」と同義だとすると、4局に1局程度訪れる「リーチチャンス」においてその和了確率を大きく変化させるような打ち方の差はきわめて重要な技術要素であると言える。

比較的影響が強いもの:
・食い仕掛け技術(狙い役、牌の残し方など)
・対処技術(相手の仕掛けにどう絞るか、または絞らないか、どのあたりから相手がテンパイであると判断すれば良いかなど)
・オーラス技術(オーラストップの時などの早上がり、または逆転技術)

相手の仕掛けにどう絞るかということは、ベタオリに比較すれば大差を与えない。なぜなら絞らなかったとしても、その人が上がり切る確率は、既にテンパイしている人が上がりきる確率よりはずっと低い(状況数が少ない)からだ。しかしまた、仕掛けをしているという時点で他家より和了機会は多いことが普通だろうから、それは局終了のしかたの分布に影響を与えることも事実だ。少なくとも、自分の手がバラバラである時に223を残すか23にするかという程度の技術差よりはずっと大きい影響を持つ。

自分に足りないものがどれかを意識して、特に影響が強いものの技術が足りないなら、まずは何をさしおいてもその部分を強化しよう。またここに載っていないような技術についてあれこれ考えたり勉強する必要はない。例えば「裏をかく」「当たり牌を読む」技術は成績とほとんど無関係である。裏をかこうとする人がいて彼がたまたま裏をかいてきてそれが和了につながる状況など、10局に1局もないからだ。当たり牌を読むこともこれと大差なく、彼の打ち方がたまたま読み通りになっていることなどそうそうない。

上に書いた、特に影響が強い4つについては、自分でかなりできると思っている人でもおそらく改善の余地が充分にある。例えばおれが安定R2000→2080と伸びた背景には、面前メンツ構成技術およびリーチのタイミング判断と、ベタオリ技術の向上があった(というかそれしかない)。安定R2000もあるような上級者でも迷うようなポイントがいくつか(本人はそこでいつも少しだけ迷うことに・・・そしてその答えを知るとぐんと強くなれることに・・・気づいているだろうか?)あり、それを修正すると強くなるのだ。具体的な技術は各論を参照してほしいが、どうすれば麻雀に強くなれるかがよくわかっていないような人は、「どこに気をつければ強くなれるのか?」を意識して打ち方を変えることが重要なポイントである。だんとつトップ目がカンをしないことは勝つための一つの技術に違いないが、そんな小さな(順位に影響を与えることが非常に少ない)ことを気にする前にやるべきことがたくさんある。裏ドラが乗る確率をどんなに正確に知ったとしても、「流れを読む」訓練をどんなにしっかりやろうとも、あなたは麻雀に勝てない。「強くなるために身につけるべき知識と技術」はそこではない。いつものように感じる「迷う部分」、一番成績を変えやすいような技術差に着目して、「東1にヤクハイのみで上がろうとすることは、またその時にリーチに対してつっぱることは良いのか?」「他家のリーチの現物が自分の上がり牌の時、追っかけすべきなのか?」の答えをあやふやにしないことだ。
そしてこの講座にはそれらの知識と技術がつまっている。


実験的方法論: 超重要

自分で技術を向上させようと思うなら、必ず実験的な方法論に基づいて行うべきだ。つまり「読み」などより信頼できる「データ」を取ることだ。
ここの最初に「同じ状況で同じ牌を切る」と言ったとおり、まずは打ち方を固定する。
もちろん、細かい部分で迷ったり違ったりするのはしょうがないが、例えば「東1の親ならヤクハイは必ず1鳴きする」にするか、「東1の親ならヤクハイは基本的に1鳴きしない」にするか、いずれかに固定する。
そしてもくもくと打ってデータを取る。
いずれの方が有利であったかをデータから求める。成績が充分に上がっていれば、その固定は「正しい打ち方」なのだ。これで一つの「正しい判断」がわかった。
この作業を地道に繰り返す。
もちろん上で言ったような「成績に強く影響しそうなもの」について実験を行うことが重要だし、短期間の偶然の結果を信じてしまうのはまずい。
漠然と打つのではなくて、「このデータはリーチ後放銃が多いなあ、出る結果は少し悪い方に傾くだろうな」とか、意識して補正しつつやらなければならない。
基本的に麻雀の成績が偶然性によって非常にばらつくことは確かで(論文参照)、たった100や200試合の結果からどの打ち方が良いかを知ることはできないだろう。
しかしかなり長期で打ってこういうことを意識していると、「今は他の要素でこれくらいついてるから、これくらいの結果が出ればこちらの打ち方の方が良いな」というような感覚がつかめてくる。
短いスパンで打ち方を改善することができるようになっていく。
そして一度わかった部分はもう迷わない。短期間の好不調に左右されず、必ず毎回良いほうの決断を下せるわけだ。
こうしておれの安定Rは急成長を遂げる。おれの技術上昇の速度は、どんな他の超ラン常連をもしのいでいると思う。
これはネット麻雀の強みである。実戦だけ漫然と打っていたのでは、決してこのような短期間の「合理的方法での」実力アップは望めない。

おれはその「実験結果」を、ここで講座としてまとめている。
ある種の「セオリー」とは全く違う結論が出ている部分も多かろう。
おれはセオリーを知らないのではない。
実験によってセオリーより強い打ち方を身につけているのだ(みんな知っているセオリーを知っているだけでは、超ラン内で偏差値75超というような成績は残せない)。


短期的な結果から判断しない: 極めて重要

ほんの50試合やそこらのスパンである打ち方を試し、それがうまくいったからとその打ち方を取り入れるようなことをしてはならない。客観的な目で判断すべし。
普通の人が普通に感じているよりも、麻雀の結果は偶然性によって大きくばらつくものである。
例えばオーラスにトップまくり手が上がれるか、振るかで3位も順位が変わり、それが300試合のうちにたった1度起きるだけでも平均順位が0.01(安定R12)変化するのだ。
成績の偏り方は論文に示してあるので一度目を通してほしい。
短期的な結果から、「打ち方AとBではAの方が良い」という誤った結論を下す、今度はたまたま合っている結論を下す、そんなことを繰り返していても運のみでしばらく強くなったり弱くなったりを行ったり来たりするだけで、結局実力は上昇しない。
もっと冷静に、もっと我慢強く、より強い打ち方を求めなければならない(ただしその作業はとつげき東北が順調に行っている。君たちは講座を読むだけで何千試合もの「実験」をしたことと同じだけの利益を得るだろう)。

なお「流れ」などのオカルトを信じていると、「今は流れが良いから」「悪いから」といった自分勝手な判断で短期間のうちに打ち方が変化してしまう。
そのためデータが取りづらく、そのような人が上記の方法で実力上昇することは困難である。
超ラン内で安定Rが増加するどころかむしろ低下しているような打ち手もいるが、短期的な結果から間違った打ち方を「良い」と判断してしまって弱くなっているのだと思う。
実験的方法も客観的に用いなければ、実力は上昇しない。
信条的な理由から、「同じ状況で同じ牌を切ること」ができない人、ツキや流れを意識して打つような人は、判断力や冷静さなどの点であまり知的ゲームに向いていないからやめた方がいい。


上級者や他人とデータを比較する: 極めて重要

充分な試合数のデータが取れたら、上級者のデータと自分のデータのどこが違うかをよく見て、打ち方で気になるところを修正する。
もしも和了率がその人より低く、また放銃率は高いような場合は、確実に自分の打ち方の何かに問題があるわけだ。
例えばとつげき東北の第一超卓での先制リーチ率は34%超であり、このようなリーチ率が記録できない人は、未だに牌効率に問題があるか、あるいは食い仕掛けに依存しすぎだということだ(もちろん、フーロしての和了率が非常に高いならば、必ずしもそのことが成績に悪影響を与えているとは言えないが)。
また染め手和了率が異常に少ないとか多いとかという場合、少し気をつけてみるなどのことが必要だろう。
別に打ち方をマネしろというのではないが、非常にレベルの高い上級者と違うということは、「ひょっとすればその部分ではその上級者よりもうまい」という可能性よりはむしろ、「その部分で劣っている」可能性の方が高いからだ。
(全ての「打ち方が違う」部分を上級者と同じにすれば、上級者との実力差はなくなる。つまり打ち方を上級者に合わせれば合わせるほど強くなる可能性は高い)。

また、複数の上級者において全く異なった値を示すような指標については、「それはどっちでも強さにあまり影響しない」ということである。
逆に複数の上級者に共通するような指標において自分の値が違っていたら、その部分は改善すべきである可能性がより高くなる。


不調の乗り越え方: 極めて重要

不調時にどのように打ち方を変えれば良いかを尋ねられることが多いが、いつもする回答の本質は次のとおり。

麻雀は偶然によって成績が非常にばらつくゲームだ。したがって全く同じ打ち方なのに、不調が来たり好調が来たりすることはよくある。
500試合単位で見て、平均順位が0.1も違うということさえ、長く(5000試合も)打っていれば起きることだ。
不調や好調を理由にそれまで見つけた「正しい打ち方」データを棄却していては、「強い打ち方」は永遠に見つからない。
決して、不調を理由に打ち方を変えてはいけない。
不調の時はとにかく、打ち方をいつもと変わらないようにして、試合数をこなすこと。
そうしなければ自分のその打ち方の、「強さ」さえ定量化できない(まさか好調時だけ取り出すなら別だが)。

また麻雀で「ついてない」と感じることは多いものだ。
たくさんの「不幸さ」の指標がある(リーチ時放銃、親被り、一発つもられ、オーラスまくられ・・・etc)。
それらの指標すべてが「ついてなくない」ような状況というのは、各々が半々で「好調」または「不調」だとして、1/8とかそういう程度でしか起きないこと。
普通の状態なら、これらのうちいくつかは「ついてねー」値を示すものだ。
まずは自分の実力を知るため、同じ打ち方でとにかく試合数を重ねることが重要だ。
憂さ晴らしに毒を吐くのもいい。麻雀に文句言うのもカッコよくはないがいい。ただ、データから目を逸らすことはないように。不調は誰でも経験するが、それを含めても、君はまだまだ弱い。

東風の第一超ランで言えば、好調時に2050行くのはごく平均的な打ち手である。そして平均的な打ち手は、長く打っていれば超ラン落ちすることが必ずある。
不調と騒ぐのは勝手だが、正直、もう少し上のレベルでは、彼と同じかまたはもっとひどい不調であっても、決して超ラン落ちなどしない打ち手が存在するわけだ。

とはいえ、おれでさえ不調が来ると自暴自棄になったりして打ち方が微妙に変化してしまうようだ(笑)。
もっと冷静さを持つことで、さらに成績が向上することは明らかだ。おれよりも冷静でない人は、言うに及ばず。


好不調によって成績が変化したのか、実力が変化したのか: 

かといって、「不調だろう」とのんきに構えているだけでは良くないこともある。
明らかに打ち方が変化しなければ取らないような「良い成績」「悪い成績」があり、そのような記録を出した時にはもう一度自分の打ち方をしっかりチェックすべきだ。
そうした成績は、「できすぎくん」の保証安定Rが示してくれる。
これを用いて、効率的に実力向上ができるだろう。


上級者の牌譜のみかた: 

上級者とデータの違うところをみつけたら、その部分の打ち方を改善できるように上級者の牌譜研究をするのもいい。
ただし、漠然と眺めたり、1局1局を見て「うまいなあ」とか思っているだけでは何の意味もない。
先制リーチ率に差があるなら、上級者が先制リーチした局だけをピックアップしてメンツ構成のやりかたを自分と比較すべきだし、オーラスのまくり率などで差があるなら上級者のオーラスだけをよく観察すべきだ。
焦点を絞ってやらないと上達は難しいだろう。


その他


観戦マニアは気をつけろ: 

麻雀は「ここでは、こう打て」というのが全ての打牌について一意に定まるほどは研究されていない。
非常に無意識的(経験的な)判断で打つ状況は多い。
つまり、経験によっても実力が上昇する部分もまだまだある。
下に「自称理論派」について書いたのとかぶるが、いくら上級者の観戦をしていても強くなる度合いはたかが知れている。
実際、おれの観戦によくくる人の中に、安定R2000超などという実力者はいないし、過去におれの観戦をよくしていたような人の中にも一人もいない!
高いレベルの人はとにかく打っているのだ。
おれの講座を読んで実験的方法を用いて打ちまくるのが上達の一番の近道である。


自称理論派になるな: 

成績に影響を与えない部分について熱く語ったりしないでいい。
そういうことをする平均的な打ち手はたくさん見てきたが、彼らは決しておれほど強くないしおれほど実力上昇しない。
西と北では西の方がわずかに裏ドラが乗りやすいので第一打は北にするべきだとか、ペンチャンは内側から落とすべきだとか、そんなことでは何も強くならない。
それから、「理屈で」考えて変な打ち方を身に付けてしまっている人もいるが充分注意しよう。
麻雀は「理論化」できるほどには解明されておらず、たいていの細かい確率計算は、経験的にわかる程度の判断を超えて有効ではない。
「他人よりなるべく早く上がれば強い」は確かだが、だからといってバラバラの配牌から役牌を一鳴きしていくようだと強くなれないのだ。
長期データから取られた「事実」をもとに、それに合うように理屈を考え、それを応用して他の場面にも当てはめていくというアプローチがふさわしい。
クソ待ちのリーのみをテンパイした時におれはテンパイを崩してリャンメン待ちを作るが、これは長期のデータから取られた打ち方の工夫である。
確かにリーチのみでも平均で見れば点数期待値は正になるが、全てのリーチのみの手でリーチすることは正しい打ち方ではないのだ。
クソ待ちリーチのみをリーチした瞬間に追っかけが入ると点数期待値は負になる(データより)。
ということは、

もしすぐに追っかけが入る状態(他家がテンパイ近い)ならば → リーチのみリーチすべきでない
もしそうではない状態(他家がテンパイが遠い)ならば → もっと高い・上がりやすい形にできる(点数期待値をもっと上昇させられる)
ゆえに リーチのみはリーチすべきではない。

というようなロジックを考えることができる。
平均的に見れば、常にリーチのみをするよりもより点数期待値を上げることができると思われるわけだ。
※むろん経験的に、どんな状態ならクソリーでも得かがわかっているハイレベルな打ち手は、得な時だけリーチのみを選択できる
そして実際、おれはこの工夫によって先制リーチ率、リーチ後放縦率、収入点数などの平均値を極端に改善できた。

ある行動が得か損かを判断する際に複合するいくつかの要素(ロジック)があって定量的に損得が言えない場合、ロジックを場合わけして精密化するか、さもなければ長期データの実測から判断するのが正しいアプローチであって、無駄に自説にこだわることが理論的なのではないし強くなる方法でさえない。

「リーチのみでもリーチした方が収入しやすいだろ、とつげきは下手」と言ってもいいが、おれが成績をどんどん向上させているのは、データを見て考察して打ち方を変え、またデータを取って考察して打ち方を変え・・・という地道な作業を繰り返してきたからに他ならない(公開牌譜を見てもらえればわかるが、おれはしばしば相当極端に打ち方を変える)。
おれの打ち方を批判する人の大半が結局凡庸なレベルに留まるのは、ひとりよがりな(データに基づかない、浮いた)「理屈」にこだわるくせに、その理屈が正しいかを検証しようともせず、その上なぜ自分が「平均的な打ち手」の域を脱し得ないでくすぶっているのかに疑問を持たないからだ。

どうして超ラン内で偏差値50と偏差値75というほどの差がつくと思う? なぜ君は好調時にやっと2100(第二なら2155)に到達する程度のレベルなの?
麻雀に才能など全くいらないが、技術を向上させるための考察と努力は続けなければならない。
何ら技術を改善せず同じような打ち方を続けて、今日は流れが良かった悪かった、勝った負けたとやって得意げにマイ麻雀形式を語っているレベルというのは救えない。


点数計算? そんなもん覚えるのは後だ、後:

点数計算などできなくても、超ランで勝ち越すくらい楽勝できる。
1ハン1000点、2ハン2000点、3ハン4000点・・・という程度にあいまいに知ってれば充分だろう(むろん知らない人と東風以外で打つ場合は必要)。
ちょうど500点差とかでまくったりする状況は非常に少ないからだ。これこそが「自称理論派になるな」という考え。
どういう現象がどのような割合で生じ、どの部分の知識をもてば、どこを強くすれば自分が勝てるのかをよく考えるべきだ(どんな知識がムダかを知るべきだ)。
麻雀オタクは、やれ状況によるとどうの、チートイの裏ドラ率が何%だの、ペンチャンは内側から落とすのがセオリーだのと語るが、彼らの語りは強くなるための技術ではなく精神的高揚感を得る祝祭でしかない。
もちろんおれは点数計算ができ、実際3900か5200かでまくれるかどうかが変わってくる局面というのもたまにはあるが、まあ100試合に1回とかその程度だ。
「R2050のくせに点数計算もできないから下手」と言うR1900のやつは何もわかってない。彼は確実に、2050のやつより「点数計算を除く麻雀の技術全体」において弱い。
たくさんの「状況」を考えたり知識を持つのではなく、たくさんの可能性や知識のうちどこが成績に影響する重要な部分かを判断することが重要である。

人は、自分が努力して得られた何かに「価値がある」と見なしたいものだ。
それが実際は大したものでなくても、「点数計算ができなければどんなにRが高くてもしょせん初心者」と言いたくなるものだろう。
実際には、点数計算など誰でも1日もあれば覚えることができる知識でしかなく、逆に色々な麻雀の戦略やテクニックは、一日で覚えられるものではないことが多いのだが。
同様に、「あらゆる状況を考えることは重要」だとか「他人のしぐさなどを読むことは大事」と言いたくなるのだろう。
状況など無数にあるが大切なのはほんの一部だ。「自分の捨て牌がチートイくさい」という状況で打ち方を変えている人は弱い。
しぐさでテンパイや狙い役がばれる程度の相手なんてそうそうはいない。彼らの「読み」は、おそらくデータを取ればほとんど偶然以上に当たってはいないし、戦術として打ち方を変えられる程度に有効ではない(実際おれが打つときそうであるように)。

強くなればなるほど、どうでもいい部分はどうでもいいと割り切れるようになる。
しぐさ、読み、裏をかくこと、マイ麻雀形式、点数計算のウンチク・・・などで自分の雀力を必要以上に誇示する必要がなくなるからだ。
結果だけが全てを語ってくれるからだ。

むろん、点数計算を覚えることは良いことだし、点数計算程度を覚えられない人は知的ゲームに向いてないかもしれない。
だが、麻雀で強くなるために重要な技術は点数計算などではない。


一般の語りを信頼しないこと:

信頼できない語りは以下の通り。

1)間違っていないだけの語り
麻雀において(そうでない場合にもだが)、間違っていないことを言うことは最も簡単なことである。
そして、当たり前のことを得意そうに語るのは凡庸な打ち手の特徴である。
例えば「タンピンテンパイしました、リーチしますか」という問いに、「状況によるね・・・上がれる自信があるならリーチだが他家が危険な攻めをしていればダマにすることもある」などと答える奴の言うことは一切信頼できない。彼は上に書いた「判断先のばし人間」であり、彼らが判断を先伸ばしにする理由はただ一つ「判断力が弱い(麻雀技術が充分にない)」からである。
おれが書いているように「この状況ではこう打て」というようなことを明言できない打ち手は基本的に、ある状況での判断がちゃんとできない人たちである。

2)成績に影響しない部分の語り、重要な部分の判断をしない語り
また、成績に影響しない瑣末な問題をうんぬんしている人は、恐らく語り以上に実力はしょぼい。
なぜなら、麻雀において成績に影響する重要な技術というのは数ある技術のうちのごく一部であり、瑣末な技術を語る人は、「何が重要な技術か」わかっていない人だからだ。
ある判断の際に、重要なポイント以外の部分を細かく持ち出すのは凡庸な技術を持った語り好きのよくやることだ。

3)よく言われているセオリー
多くの人が思っている最善手や、多くの人が言っているセオリーもほとんど信頼できない。
超ランの平均的 な打ち手の打牌は、おれから見てかなり間違えている。「明らかにダメ」と言える部分も多い。
ところが多くの人は同じ状況で同じように間違う(例えば序順に12を残して5を切るとか)。
あるいは、アンコスジは危険だというセオリーがある。実際、確かにアンコスジは少々危険ではあるが、例えば内側の牌が1枚多く切れていたらそれでチャラになる程度の影響しかない。
ベタオリするなら現物を切っていけばいいし、そうでないならアンコスジがどうとか考えずにタンヤオ消しやピンフ消しをする方がよっぽど有利なのだ。
つまり「アンコスジが危険」というのは、理屈上間違ってはいないが実際はほとんど役立たないセオリーである。
言い換えると、「間違っていないだけ」のことなのだ。

4)充分自分の方が強いわけではない他人の打ち方についての語り
麻雀には重要な誤打とそうでない誤打がある。
10回打って10回しないようなミス、しかも、大きな確率でそれが危険であるとか効率が非常に悪くなるとかのミスでなければ、指摘できない。
自分が良いと思っている判断自体が実は間違いかもしれず、また実際にそれが誤打であっても、成績にほとんど影響しないような誤打ならそれを含めても相手のほうが上手かもしれないからだ。
よくたった1打の誤打を取り上げて「下手」と言ってる人がいるが、たぶんその人の牌譜をおれが見れば100の誤打を指摘できるだろう。
東風で言えば、ある人の打ち方を見てわかる「実力」の範囲は少なくとも平均順位±0.05(R60)程度の幅はあるだろう。

5)短期的な結果からの語り
言うまでもない。

6)虚勢による語り
自分が強いことやさも様々な状況を考慮しているということをアピールしながら、実際にどんな状況の時にどう打つのか、現在その状況にいるということをどうやって知るのかを明確に言えないタイプの語り。

7)ある状況を「特別なもの」と考えるような語り
「普段なら〜〜と打つが、この状況なら〜〜」というように、「今回の状況」を特別視するタイプの語りは往々にして信頼できない。
ジジイが「最近の若者は〜〜」と言うように、「最近」「今回」などの「今」を特別視して「普通のロジックに乗らないからロジックは言えない」とするのは典型的な「ロジックがわかっていない人の逃げ」だからだ。
また通常の打ち手の「場合分け」はほとんど間違っていると知るべし。

では、どんな語りを信頼すればよいだろうか?

1)客観的な結果を残した人の語り
ただし、麻雀はつい「わからないところまで語れてしまう」ゲームだから、それをどう見分けるかは難しい。
例えば井手洋介は最高級の実力者だが、彼の語りは必ずしも正しくない(「牌の勢い」などの記述。ただし通常の手でどう打つかについては相当精確だと思う)。
とはいえ、長期データとして信頼できる結果を出した人の主張は正しい可能性が高い。
少なくとも自称「強い」ほとんどの中級者の語りよりは100倍もましだ。

2)理論・データに基づいた語り
理論がある語りは良い。
ただし、理論は常にある種の現実的な要素を排除することによって成立するので、外乱を考慮しなければならない。
一見正しげな理屈でも、別の要素を加えた理屈によって棄却されることがある。
例:「クソマチでも、リーチすれば収入期待値は正だからリーチした方が良い」
「収入期待値が正」までは正しいが、実際は結論が違うことも多い。
また実測データがあればなお良い(理論のミスなども発見できる)が、たった200試合の成績で何事かを云々しているような人の語りは信頼できない(そもそも麻雀ゲームの性質を理解していない)。

3)長期的な視点で判断できる人の語り
ちょっと負けが続くと「他家が強くなった」とか「この打ち方は〜〜だ」とか言う人がいるが、こういうタイプの人の言う事は決して信頼してはならない。
麻雀を結果から語る場合に、100試合や200試合の結果ではわからないことの方がずっと多い(ある選択の成否が、結果に直接的に影響しない)。

4)根底にあるロジックを示した語り
ある、特殊なあるいは個別の状況においてどう考えたかというようなことは、仮にその語りが正しいとしてもあまり役立たない。
「そういったような状況」において、どう考えれば良いかを示した語りに耳を傾けた方がいい。
つまり、根底に「同じ状況で同じ判断ができる」ようなロジックが存在するかどうかを調べるべきだ。
なぜなら、単に今回の状況で正しい解答を出した人は、似たような別の状況で同じように正しい解答が出せるか甚だ怪しいからだ。
というより、もし判断基準がある程度明確にあるなら、その判断基準を語れば良いのであって、それを語れない人は恐らく「状況による」で逃げるタイプだろう。
「この状況で何を切る?」ということに対して、「上家の手出しが〜〜だから〜〜で〜〜」などとこねくり回しているようなのは怪しい。
「こういった状況では、〜〜が判断基準で、したがってここではこう」のように簡潔に述べられる人の語りは信頼できることが多い。

5)重要な部分を選りすぐった語り
前項とかぶるが、成績に影響するような重要な点だけを選りすぐって語ってくれるような人は、麻雀における重要な技術についてよくわかっていると言える。
瑣末な要素や、ほとんどあり得ない要素をいちいち「考えたフリ」している連中の語りは信頼できない。
判断において重大な差異があれば、おのずとその重大な部分について考察することになるはずであり、そうでない部分を持ち出す場合は「重要な部分がどこかわかっていないタイプの人」、つまり実力がない人である可能性が高い。

6)当たり前のこと以外を言う語り
当たり前のことだけを言って満足するような奴の語りは信頼できない。
常により良い結論を求めようという姿勢が感じられず、「間違わないこと」を優先するタイプで、自分に自信のあるロジックや理論がないことを曝け出しているようなものだ。
彼らは当たり前の発言をした時点で思考停止している。
ただ、当たり前でないからと言って正しいとは限らないが、少なくとも耳に入れる価値はあるかもしれない。

さて、実際の麻雀の語りはどうだろうか?
この全てに反するような語りがほとんどだろう。
虚言、虚勢、および妄想と「状況による」「卓上の全ての情報が重要」である。


東風と実戦は違う? 結果やデータを出して語れや:

リーチ率・ツモ率・和了率・放銃率・トップ率・平均順位・総得点等全てで圧倒的に負けてるのに「しぐさ」などの読みで東風と実戦は違うから実戦ならとつげきに負けないとか言ってるR1850のお前!
麻雀のほとんど全ての技術である上記指標を、しぐさ一つが埋めてしまうなら、しぐさだけ読む練習してりゃええやん( ≧∇≦)ブハハハ!
麻雀など他に何の技術もいらん、浅い浅いゲームやぞ?(笑)
「しぐさ読み技術」が麻雀の強さの半分をも占めるとして、じゃあその指標で君はフリー内偏差値75超えてるかね?(しぐさ読みの権化・・・ある意味妖怪しぐさ読みだが)
そうでないと上記指標で超ラン内偏差値75のおれに、結局勝てんぞ?( ´m`)
ただ、しぐさ読み技術が麻雀ゲームの勝敗の要因の半分も占めるなんて本気で言うやつはとっとと死んだ方がいいがね。
テンパイしたらソワソワするような相手と打ってるのか?(笑) 相手がノーテンなのにソワソワしてみせたらどう対処するよ?(笑) いつの時代の麻雀だよその嘘臭い「読み合い」は(笑)

君はフリー内で「しぐさ読み技術偏差値75」というデータを出せていない(それくらいのレベルなら当然、周囲でウワサになるレベルだが)。
君は東風内で他を圧倒する偏差値75という成績を残していない(おれは超ラン内でウワサになるくらいのレベルはある、シスマに所属していたプロ雀士を圧倒的に超える程度の)。

フリーはデータが出しにくいのをいいことに、往々にして非常に凡庸な打ち手が妄想と「わかったフリ」によって得意げに語りやすいという現状があるが、別にフリーが悪いと言ってるんじゃない。
何でもいいから、願望以外の現実的な何かで語れと言ってる。

ちなみにえらそうに上級者ぶっていた人が東風に来た例はいくつも見てきたが、1000試合単位で見ておれの成績を超えた人は知らない(もっと言うと新キャラの最高Rでさえおれの最高Rを超えた人がいない)。
というよりそのほとんどが超ラン平均並かそれ以下の凡庸な打ち手でしかなかった。
基本的な牌効率や基本的な状況判断がなってないのだからしょうがない。
これだけたくさんの人間が東風荘で打っており、もちろんフリー常連やプロもいるにもかかわらず、第一で1000試合以降でR2100や、さらにはR2150、おれのようにR2200近くに到達する人がほとんどいないという事実を見ても、「自分だけは違う」と思うのだろうか? さすが大衆である。
大学受験の模試で偏差値75だった人に、「実際の試験では配点や分野が違うし面接もあるから偏差値60でも面接が得意な俺の方が有利」などと言っている連中というのは常に滑稽で、そしてそういう人物は往々にして良い大学に合格しないものだ・・・。

例えば単純な牌効率の「何切る?」問題で勝負してやってもいい。「山に残った牌を当てる」のでもいい。
状況や東風のラグやしぐさなどが介在しない、純粋な麻雀技術だし、その上麻雀の強さに強く影響する技術の問題だ。
コンピュータで各々の打牌についての和了率や、残り牌数を比較して勝負しようじゃないか。
自称フリー上級者の恥ずかしいプライドをズタズタにするほど実力差があるということを証明してやるよ(笑)。


負けず嫌いな負け組:

おれの友達で、多い時で1日三百万くらいの金が動く代打ちやってた人おる。東風内のRは1950〜2000前後(第一超ラン)。
前シスマに所属していておれが色々麻雀技術を教えてあげてた。その人は、どの技術においてもおれに負けているとちゃんと認めてたわ(実際、それで代打ちで勝率が上がってたしね)。
「実戦だから」「東風だから」などで打ち方はそんな変化しない、「東風で負けても実戦では」なんて言ってる奴はただのださい負け組だとも言ってたね。
「実戦では」「もっと高レートなら」「もっと真剣な場なら」・・・まあ色々いいわけできるけど、結局君、そのどちらでも何の結果も出せず何の評価も得られない凡庸な打ち手なんやろ?
つか、そういう「高レート」で打ったことさえ実はないやろ? 知らんくせに議論で負けたくないってだけで願望言うてしまったんやろ?
負けず嫌いなだけのただの負け組は死ね。