「矛盾」と「ギロン」

矛盾の定義を述べよ。


・・・いや、いきなり悪いのだが、これちゃんと言える人どのくらいいるのかなと思って。
ネットでの「議論」を見ていると、やけに「矛盾」だとか「前提」がどうとか、論理学用語が飛び出すのが愉快だ。
議論なれしていて知識がある人間なら普通、議論で「矛盾だ」などという指摘は、(よっぽどの場合でなければ)しない。
衆愚の盆栽など、おれの議論記録を見てもらうとわかるが、おそらくおれは「矛盾」という言葉自体、一度も使っていないと思われる。

普通、数学的な問題の話をしているのでもない限り、「矛盾」はまず生じないし、あるいは大量に生ずる。
牛丼が食いたいなぁ、と思いつつ、金がないからソバを食うことはよくあることである。
それは矛盾ではないが、見方によっては「矛盾」である。
ロジカルな問題を除けば、たいがいのものは、ある意味矛盾するだろうし、矛盾ではないと言うこともできるわけだ。
とりわけ、何がしか「議論」などで主張したり立場を表明する場合、そのどこかに「矛盾」を見て取ることほど簡単なことはない。
例えばあの「論理の牙城」ヘーゲルの「小論理学」でも読んでみたまえ。本気になれば100個くらいは矛盾が指摘できるはずだ(弁証法などというまやかしを用いていることを除外してもだ)。
あるいはまぁ、うちのHPのおれの発言から矛盾を探してみるといい。とり方によってはいくらでも「矛盾」など発見できよう。

そうした様相に通じているなら、いちいち、「矛盾だ」という言い方はしないものだ。
同じ「矛盾」であっても、それがどの程度、当該の問題において変(ダメ)なのか、という具体的なものを例証などを用いて示すのが通のやり方であり、かつ効果的な唯一のやり方である。
「私は麻雀が嫌いだ」と言いながら、上司の麻雀に付き合って麻雀をしまくるのは、別に不自然ではない。だからそれに「矛盾だ! 矛盾だ!」と騒ぎ立ててみても、楽しくない。
しかし「私はあなたのためを思ってこうしてるんです」とか言ってる人が、実は自分の利害関係で動いている構造を見抜けたら、道徳的に攻めたりしてかなり楽しめる。そしてその場合、「矛盾です」なんてつまらない言い方はしない。もっといやみったらしく、ネチネチと、相手の不徳さを示していくのがスジというものであろう(笑)。

それに比べて知的凡才同士の「議論」はどうか。
「矛盾」という用語がいかに多くでてくることか!
つまらん! なによりつまらん、かつその言葉を言うだけで論客気取りかよ!!
しかも彼らのレベルともなると、最初に言った「矛盾の定義」さえわかっていない感じだから恐ろしいわけだ。
最低なのは「矛盾ですね」といいつつ、どこが「矛盾」であるかさえ示していない水準である。

はっきりと教えてあげよう。
「Xであり、かつXでない」が(同時に)成立することを、矛盾を言う。
しかもXは、客観的事実(というか論理学用語)でなければならない。

コーヒーを飲むとする。
「コーヒーうまいな」とおれが言ったとする。
でもコーヒーを飲みすぎた後では
「コーヒーまずいわ」と言うだろう。
別に、矛盾ではない。
しかし「コーヒーうまい、かつうまくない、だから矛盾」とかつっかかることは、できる(笑)。
本当は「凸は、コーヒーうまいと発言し、かつ、コーヒーうまいと発言しなかった」くらいでないと、矛盾ではない。
厳密な意味での「矛盾」などというものは、この世でわれわれが普通に生きているうちに、まぁまずお目にかかることはない。

もし何がしかが矛盾していたら、「矛盾デス」という看板を掲げるのではなくて、どのようにそれがおかしいのか、そう捉えるとどうダメになるのかを指摘してやることが重要なのだ。
得意げに「論理学用語」の看板を掲げたがるのは、はなはだ見苦しい。
「矛盾」だけではない。
「前提が違う」「定義が違う」(今までなんでお前はそんな重大なことを無視して議論してたんだよ)
「〜と定義できる」(使い方がおかしいわ)
「根拠がない」(お前は一度でもそれらしいデータを出したことがあるのかよ)
はては「論理的でない」などまである(笑)。そして彼の言う「論理的でない」が、イメージや願望以上のものを指すことはきわめてまれである。

(理工学や、答えがデータなどで明らかになるものを除く)議論というものは、それになれていない人が思うような、
「正しいものがあって、それを見出すために展開してゆく知的過程」
などではない。
もっとドロドロした、お互いの好みをぶつけ合い、どの程度相手の要望に譲歩しつつ、どの程度相手や周りを自分の望む方向へ向かせられるかという、体力的な勝負に他ならない。
例えば思想家同士の議論を見よ。メチャクチャ適当ではないか(笑)。
その際には、事実を見抜く目と、分析力と、そしてなにより文章力が必要となってくる。
議論というのは既に、ギロンとして相対化されていなければならない。
だからギロン(=主張=思想)はゲームなのであり、決してまじめにやってはいけないものなのである。

「お互いの思想を磨く」とか、「色々な考えを知りたい」など、真剣にクソ食らえである。
まじめに言い換えるなら、「うんちを食べろ」レベルの評価しかできないわけだ。

もし相手が皇族だったら? 「排泄物をお食べくださいませ」かな・・・。